女性の再挑戦

M・F(30代)

 自分の能力を最大限に生かせる仕事に就きたい。そして出来ることなら一生やりがいのある仕事を続けていきたい。十五年程前になりますが、短大の時将来の夢を聞かれて、特になりたい職業は決まっていませんでしたがただ漠然とそう思ってました。
  1995年21才の時、難関を突破して全日空に客室乗務員として入社しました。たまたま新聞の片隅にある求人案内を見付け、だめ元で応募したら運良く最終面接まで残り合格したのです。自分でも驚きましたが両親は信じられず「何かの間違いでは…」と言っていました。今までスチュワーデスになりたいなんて言った事もない娘が合格したのですから当然です。私は憧れてはいましたが、あまりにもレベルが高く所詮自分には無理だと決めつけていたのでスチュワーデスになりたいだなんて無謀な事を思うのはやめていたのです。性格的にデスクワークは向かず、人と接する事が好きでしたので客室乗務員の仕事は本当に天職でした。もちろん見た目の華やかさとは裏はらに、きつい、汚い、危険の三拍子揃った大変過酷な職業でした。約二ヶ月の訓練期間中は毎日試験があり、勉強が追い付かず一日の睡眠時間が三時間の日々でした。
  あの訓練期間中が私の人生で一番勉強した時ではないかと思います。一日も早く一人前の客室乗務員になりたくて、通勤時間を惜しみ羽田訓練センター近くにビジネスホテルを借りて勉強に励みました。訓練センターを無事卒業した後、待望の大空へとデビューしましたが厳しい先輩の指導やハードワークにへこたれる事も多々ありました。それでもすてきな先輩方みたいになって自信を持って乗務したい一心でがむしゃらに頑張りました。入社して5年目にはチーフパーサーの資格が取れ、飛行機の客室を全て任されるようにまでなりました。ジャンボ機ですと569人もの命を預かっているという責任感、十二名のクルーを指揮する緊張感。これ程やりがいを持てる仕事はなかなか出来ないと思います。
  しかし人生の転機がやってきて入社六年目で結婚、妊娠をし大好きだった客室乗務員の仕事を辞めることになりました。出来れば続けたい気持ちはありましたが、月の半分は泊まりの仕事で実家も頼れず子供の預かり手がなかったので断念しました。仕事柄、妊娠したらすぐに辞めないといけなく心の準備もないまま突然専業主婦になりました。もちろん子供を授かった喜びもありましたが、突然の事で生き甲斐であった仕事を失い暫く途方に暮れていました。母や夫は子供が出来たら当然専業主婦になるものだという考えで私の不満と焦る気持ちは誰にも相談出来ずにいました。そんな時一人で九州一周旅行に行きました。現実を踏まえてこれから後悔しない人生をどう過ごすか自分探しの旅でした。全日空を退職後周りの人達から「もったいない…続ければ良いのに…」と言われ続け、後悔の念で潰されそうになる自分と戦う為にも一人旅に出たのかもしれません。九州では乗務員時代に良く行ったお店や仲良くなった現地の人を訪ねました。良く通っていたマッサージ屋さん、ネイルサロンと行ってみて、施術してくれる人の心の優しさに胸が打たれました。親身になって話を聞いてもらいながら、マッサージ、ネイルとされているうちに心身ともに本当に癒され心からありがとう。と伝えました。
  ただ施術するだけでなくセラピスト的なものもあり、お客様から笑顔で「ありがとう」と言われるこの職業にすごく魅了されました。旅行から帰って暇な妊婦生活中にネイルスクールに行こうとすぐ探しました。今から8年前でネイルサロンも少ない時代で情報も少なくスクールを探すのはとても大変でした。どうしたらネイリストになれるのかも分からないまま取りあえず前進あるのみと手探りで行動しました。身重ということもあり都内の大きなスクールには通えませんでしたが地元の小さなスクールでネイルを学び始めました。不器用な私でしたがネイリストになりたいという思いで毎日練習に励みました。友達も爪をきれいにしてもらえるので喜んで手を貸してくれました。なんとか出産までに一通りのカリキュラムを終え趣味程度ではネイルが出来るようになりました。産後も子供が寝ている間に自分の爪をきれいにしたりママ友達が集まって順番に子供を見ながらネイルを自宅で続けました。皆の喜ぶ笑顔を見ていると自分にも力が沸いてきて早くプロのネイリストになりたいと思いました。子供が二才になって保育園に預けられたので、もう一度プロ養成コースのある都内のスクールに通いネイリスト検定にも合格して、ようやくネイルサロンへ就職できました。その頃全日空の先輩が元客室乗務員を集めた人材派遣会社を立ち上げて声を掛けて頂いたので週の半分はネイルサロン、あとはVIPアテンダントなど接遇の仕事をするようになりました。欲張りな私は両方の仕事を続けたい気持ちはありましたが子供が小さく2ヶ所での勤務が無理あって一年でネイルサロンを辞めました。ところが先輩である社長が恵比寿に広めのマンションを借りてくれて、一室を派遣会社事務所、もう一室をネイルサロンとしてくれたのです。現在は客室乗務員の集まる派遣会社とネイルサロンを経営しています。いつまでも、ママになっても輝ける女性であり続けたい。そう思っている女性達のお手伝いが出来る今の仕事に大変満足しています。子供のせいで仕事を辞めた…ではなく子供のお陰で今の好きな仕事をしている自分がある。素直にそう思える事に幸せを感じ本当に感謝しています。