職業訓練を経て会計事務所職員に

原田 靖子(60代)

 私は三十才のある日、バスターミナルのタクシー会社の表戸に「女子事務員募集」のはり紙を見つけた。高校を出て父の菓子小売業を手伝って、その後、結婚もして子供二人をもったけれど外で勤めたことは一度もなかった。かねがね何かしたいと思っていた。
 どんな仕事だろう。私にできるかしらと少し不安だったけれど、家から近いし、やってみようと思い、話を聞くためにその会社の表戸を開けた。中には父の同僚だったYさんが定年後の勤めで電話番をしていた。「おいでよ、きっと来るんだよ」とYさんに強く手を握られた。履歴書の提出もなく採用となった。私に与えられた仕事は現金の出入りの出納帳の記帳、陸運局への報告書の作成、給料計算だ。でも私には給料計算が出来ない。会社で契約している会計事務所から、二十三才の女性職員Iさんが来て、テキパキと仕事をこなした。私は思わず、「どうやって、こんなに仕事が出来るようになったのですか」とたずねた。「私は県立職業訓練校の経理科の出身です」との答えだった。私はどうしてもその訓練校に入りたいと思った。そこへ問い合わせると、中卒程度の筆記試験と面接とのことだった。国語、数学、社会で理科がない。姪から中学の教科書を借りたけれど、あまり勉強にはならなかった。知識を洗たくの水と一緒に流してしまったような感じがした。
 試験は大変だった。社会はたったの二問、歴史的事実が五十個「仏教伝来」とかがあって古い順に並べる、というものでひとつ間違えれば全部駄目になる。どんなになったか、今でも思い出して身震いがする。二倍ほどだったが幸いにも合格して最年長の生徒となった。
 今まで聞いたこともない簿記の授業で先生は「借方、貸方は約束事なので、どうしてそうなるかは考えずに、ただ覚えること」と言われた。今までの勉強とはまったく違うのでびっくりした。でもその簿記が大好きになった。なんでこういうものが私の周囲にはなかったのだろうか。親の周りにもこういう仕事の人はいなかった。先生は「分からない人は土曜の午後、補習をしてあげますからお弁当を持ってきなさい」と言われた。年長者五名くらいが教わった。先生もとても熱心だった。私は勉強というものを初めてした気持ちになった。
 卒業して憧れの会計事務所の職員となった。所長から「この方に付いて下さい」とSさんを紹介された。くしくも彼女も二十三歳だった。会計の仕事は先輩について、小さなことまで教わって一人前になる。私はSさんのひとこと、ひとことをノートに取った。そしてこの会計の仕事はどんな辛いことがあっても、マスターするまでは辞めないと自分に言い聞かせた。Sさんの手ほどきを受けて、少しずつ小さな会社の決算が組めるようになった。そして勤続十年でほとんどの仕事が出来るようになった。多くの人に囲まれて、何も知らなかった私は一人前の職業人になれた。