私のセカンド・チャンス

K・K(60代)

 朝、スケジュール表で午前中は裁判所で、午後は予備校で仕事というように、今日の行き先を確認する毎日です。現在家庭裁判所の調停委員、区民相談員、そして心理カウンセラーとして心療内科クリニック、大学受験の予備校のカウンセリングルーム、家族カウンセリングの現場の以上5か所で仕事をしています。私は調停委員になろうとかカウンセラーになろうという考えで挑戦してきたわけではなく、人とのかかわりの中で、自然の流れのままに来た結果のことなのです。そんな私のこれまでのプロセスを振り返って見ようと思います。
 昭和40年に児童学科を卒業、私立の児童相談室で3年間仕事をしたあと家庭に入りました。子育てが一段落した頃、時間の余裕ができて友達と編物をしたり、ランチをしたり、またちょっと遠出をしたりする楽しみを得ました。しかし、次第にそれらの楽しみは単に時間を使っているだけという思いから、物足りなさを感じるようになりました。ちょうど桜楓会の人材銀行の存在を知り早速登録したところ、先輩から幼稚園の非常勤講師の声がかかり、午前中だけの仕事で時間的な融通が利くことが魅力で10年近く勤めました。補助教員的な存在で責任が無いという気楽さはありましたが、私が幼稚園児らの成長に関わっているという充実感はありませんでした。そんな時たまたま新聞の求人広告で井深 大氏が主催する幼児教室で教師募集をしているのを見つけました。応募資格の年齢は超えていたのですが、応募したところ採用されました。「どの子もお母さんしだい」をスローガンに、母親も子どもの活動に一緒に参加する母子の実践教室で、体験を通して新しい知識を共有する場を教師として提供しました。目を輝かせて興味を示す子どもたちと、我が子との絆を深めていく母親の成長を目の当たりにすると、教師としてやりがいも感じ、教師冥利に尽きるものでした。
 父が大病後自宅療養することになり、介護の必要が生じて5年間勤めた幼児教室を退職しました。父の介護はつきっきりというわけではなかったので、空いた時間にできることを探していたとき、大学の恩師がカルチャーセンターでカウンセリングの講座を開いていることを知り受講しました。学生時代にほんのちょっとカウンセリングの講義があったこと、幼児教室で母親教室の経験はカウンセリングとは無縁ではないだろうという軽い気持ちでしたが、これがカウンセリングの世界に足を踏み入れた第一歩で、もう少し勉強を続けてみようと積み重ねているうちに、カウンセラーになっていました。カウンセリングの勉強にかかる費用を調達するために、幼児から大学受験までを対象とする予備校で幼児教室教師を勤めましたが、私がカウンセリングの勉強をしている事をしった予備校から、生徒の悩みを聴いたり心理的援助をしてほしいという要請があり、予備校内にカウンセリングルームを開設することとなりました。勉強に集中できない、自分は何をしたいか分からない、好きな生徒がいるがどうしたらよいかなど、青年期のアイデンティティの問題や友人関係など若い人たちの悩みを一緒に考えてきました。しかし中には医療的ケアの必要なこともあり、心理的援助の領域を明確にする知識を得るために、医療心理の勉強に通いました。2年間の机上の学習のほかに、ドクターの診察に陪席して、患者さんとのやり取りを身をもって学ばせていただきました。どのくらい患者さんの話に耳を傾けられるかということ、患者さんの真の幸せを思ってあげられるかということ、患者さんの思いをよく理解してあげることの3点を、ドクターは治療者として実践しておられました。このことは医療現場に限らず、心理援助においても相談を受ける場合でも、人とのかかわりの中ではとても大切なことですから、ドクターの人となりに少しでも近づきたいと努力しています。
 ドクターの指導を受けた心療内科で心理相談員として患者さんのカウンセリングに携わり始めた頃、カルチャーセンターで学習していた頃から所属していた日本家族カウンセリング協会で、家族臨床のスタッフに採用されました。家族の中の問題、たとえば引きこもりや子どもの非行、勿論親子関係、夫婦関係などを、家族内の関係を変化させることで解決を導き出す家族療法により、幸せな家族関係を再構築できるように援助をしています。そしてさらに大学の先輩から家庭裁判所の調停委員を薦められました。既に59歳になっていましたし、私にそんな大きな仕事ができるかなという躊躇はありましたが、駄目でもともと、声を掛けていただいたのはありがたいことと応募しました。そして調停委員に任命されました。区民相談員は調停委員を薦めてくださった先輩の後任を任されたものです。世の中の家族が抱える問題、新聞やテレビでは報道されない個人の深い悩みの聞き手となり解決策を一緒に考える中で、あらゆる人間の生き様に触れている感じがし、私も気を引き締めて誠実にどの方とも向き合っているつもりです。
 私の仕事はどれも人にかかわる仕事で、それぞれの場で求められるわたしの姿勢は異なりますが、いつもその場ではそこに居る方と私との関係の場であると心得ています。これまでふと目に留まったスタッフの募集記事、先輩、そして尊敬する恩師とドクターとの出会いが、私にチャンスをくださったのだと思います。そして今この時に私が出来ることは何かと考えて、与えられたチャンスをキャッチしてきたのは私自身であります。それは人間としての自己をたかめるためのわたしのチャレンジでもあります。