『セカンドチャンス社会』の実現

E・N(60代)

 私の歩んできた経験が果たして「セカンドチャンス」をつかんだ女性としての経験事例にふさわしいかどうか分かりませんが、一つの参考例になればと思います。
 私は日本女子大学国文科を卒業後、某放送局に就職しました。当時、放送関係での女性の地位はまだ低かったように思います。特にこの放送局では25歳定年制が敷かれ、希望の職種にも就けないなど労働条件は厳しいものでした。この後、他の会社にも就職しましたが、結婚のため退職しました。当時は働く意欲のある女性にとり、職業を持って生きていくことは、なかなか困難な社会でした。
 そんな私にとり大きな転機をもたらしたのは、マスコミの中国駐在記者となった夫について中国に赴き、日中国交回復時から4年間、北京で暮らした経験だったと思います。当時の米中関係、日中関係などの国際政治の動き、特にニクソン訪中、田中首相の訪中と日中国交、毛沢東、周恩来という中国の指導者の動きなどを聞いたり、目にしたりすることができたことは、何も知らなかった30代の私にとり、強烈な異文化体験でした。当時、中国は文化大革命の最後の時期だったのですが、中国の女性が男性と互角に仕事をこなし、生き生きと輝いている姿もまた、私にとり衝撃的でした。当時の中国は全く異次元の世界で、日本の常識が通じないことばかりでした。生ぬるい温室の中で育った私にとり、毎日が刺激的、新鮮で、何かと制限が厳しかった当時とはいえ、可能な限り中国の人々とも接触し、北京の町の中を見て回り、少ない機会ながら地方旅行もしました。普通の人たちとはなかなか接触できませんでしたが、阿姨(あい)さんと呼ばれる家政婦さんや運転手もいて毎日楽しく何かと対話しました。中国語の家庭教師を雇い、毎日やってくる先生と話し合い、最後のころは文化大革命について批判的な議論をして、時に先生を困らせたこともありました。この4年間の異文化接触、体験が私の人生を一変させました。今の仕事の契機となったのは、この中国での体験でした。これが私の1度目のチャンスでした。
 帰国後まずチャレンジしたのが、外国人に日本語を教える日本語教師の仕事でした。今でこそ各大学に日本語教師養成課程が置かれ、有能な日本語教師が育ち、各国で活躍していますが、当時は新しい職業で、まだあまり社会的に認知されていませんでした。社団法人として発足したばかりの、ある日本語教育機関に入り、日本語教師として必要な知識や教授法を学びながら、大学の留学生教育センターや政府の難民定住促進センターに派遣され、日本語教師としての道を歩み始めました。そして再度、中国駐在記者となった夫と共に北京に行きました。今度は日本語教師としての経験を活かし、北京対外貿易大学で非常勤講師として、日本語科の学生に教えることができました。これが2度目のチャンスです。
 帰国後は、2、3の大学の留学生教育センターで日本語教師としての仕事を続けていましたが、日本語の奥深さを知るにつけ、勉強不足を痛感しました。そこで既に40代に入っていましたが、仕事の傍ら日本女子大学大学院文学研究科日本文学専攻博士課程前期に入学し、終了後も引き続き博士課程後期に進み、約5年間、国語学の研究に打ち込みました。学問の奥の深さ、研究することの素晴らしさ、論文執筆の苦しさなど、今から思えばかけがいのない貴重な経験でした。諸先生方はもとより若い院生たちと共に研究し、有益な刺激を受けたことも良い経験でした。これが私の3度目のチャンスです。
 後期退学の後、国士舘短期大学の公募に応じ、国語学の専任講師に就任しました。50代の初めでした。これが私の4度目のチャンスです。その後、国士舘大学21世紀アジア学部で、日本語教師養成課程の設立にたずさわり、日本語学概論と日本語文法および学生の卒業研究ゼミを担当、さらに大学院の国際日本語教育の設立にも関与し、現在は日本語教育関連の講義と院生の修士論文作成ゼミを担当しています。
 こうして見てきますと、長い人生においてチャンスは2度ではなく、何度もやってくるということです。チャンスを人生の節目あるいは契機ととらえれば、私に限らず誰にでもあるということではないでしょうか。「セカンドチャンス社会」は確かに女性の多様な生き方を可能にしてくれる社会といえます。しかしながら、私にとり「セカンドチャンス」の実現を可能にしてくれたのは、母校である日本女子大学が40代の私を大学院の修士課程に受け入れ、しかも若い大学院生と同等に扱ってくれたことです。まさに日本女子大学が掲げている「生涯学習」を、言葉通りに実行してくれたわけです。若い学生を育てるばかりでなく、卒業生にも広く門戸を開き、生涯学習の機会を与えているのです。母校がチャンスを与えてくれなかったならば、私も今日の仕事に就くことは出来なかったと思います。私の事例が「女性における生涯学習」の実践例として後輩のお役に立てばと願っています。