石の上にも三年

M・S(40代)

 私が働く職場に韓国人のジョさんという男性がいます。彼と話す機会があり「ジョさんは日本語がうまいですね」と言うと「日本に来て1年半になりますので普通の会話はできますが、仕事で使う専門の言葉が難しいです」と厳しい顔で答えました。私は「ジョさん、日本のことわざで『石の上にも3年』という言葉があります。」と話しました。この『石の上にも3年』という言葉は、かつての私が毎日のように自分に言い聞かせ、励ましていた言葉なのです。
 今から25年前、工学系の専門学校を卒業した私は、念願の大手自動車会社の設計部に就職することができました。そこで自動車設計のいろはを教わり、CAD(キャド)のオペレーターとしての技術を徹底して教え込まれました。CADというのはコンピュータで設計・製図をするシステムです。その自動車会社での経験とその後転職した、専門学校でのCADの教員としての経験。この2つの経験は私にとって大きな誇りでもあり「CADのことなら誰にも負けない」という、自信にもなりました。
 その後、出産のため専業主婦になったときも「今、どんなに仕事から離れても、私ならきっとどこにでも再就職できる」という確信がありました。
 しかし、実際にはそんなに甘いものではないことを思い知らされました。子供が幼稚園に入り仕事を探しても時間の問題や、通勤距離など条件に合うものはなかなか見つからず、時間だけが過ぎていったのです。それでも、CADの仕事にこだわり、わらにもすがる思いで、昔働いていた自動車会社の知り合いに「仕事を紹介してもらえませんか?」とお願いしてみたのです。その方に紹介していただいた会社は、以前勤めていた会社の子会社でCAD業務を請け負う会社です。以前から会社のことも、仕事内容も把握していたので「ここなら自分の力を発揮できる」と思いお願いすることにしました。それが現在働いている会社です。
 しかし、自動車会社を辞めてから10年以上も過ぎていてCADのシステムも仕事のやり方もいろいろ様変わりしていて、まるで浦島太郎でした。新しいCADをマスターしないまま業務に就くことになり、不安がなかったわけではありませんでしたが、「きっと私ならすぐに習得できる」と妙な自信がありました。仕事復帰にあたり、かつての職場である親会社に挨拶に行くと「暇な主婦の時間つぶしなんじゃないの」と先輩女性に笑われました。ずっと仕事一筋でやってきた先輩に比べたら「本当に本腰入れてやれるの?」と思われたのかもしれません。そんな言葉を払拭するかのように与えられた仕事に精を出すのですが、頭が働かない、腕が動かない、仕事に時間がかかりすぎるの繰り返しで落ち込むばかりでした。「こんなはずじゃない。こんなの私らしくない」と動揺しました。親会社が昔の職場というのも精神的に自分を疲れさせました。かつて仕事を教えた後輩に「あなたにはこの仕事は無理ですね」と言われたり、かつて専門学校で教えた生徒までが客先の社員だったり・・・・・。昔の同僚で結婚・出産を乗り越えて仕事を続けてきた女性たちは、バリバリと働き大きく見えました。うらやましいと思いました。2年半ほど過ぎても仕事は相変わらずCADを使う仕事より、図面チェックや書類作成など事務的な仕事を任せられることが多く、私は「雑用ばっかりさせられて割に合わない」と思うこともありました。弱気になると「仕事が駄目でも私には家庭がある。温かい家族がいる。」と慰め「これ以上やっても無理なら辞めよう」と思い始めたのでした。この仕事を紹介してくれた人のことなど何も考えずに、求人雑誌などを買い込んで毎日ながめていました。しかし「本当にこれでいいの?」「やるだけのことはやったの?」と問い詰める自分がいるのも確かでした。「もう無理だよ」「本当に無理なの?」自問自答の日々が過ぎていきました。
 私は専門学校に勤めているときによく学生に言っていた言葉がありました。「周りの人と比べるのではなく、昨日の自分、ひと月前の自分と比べてごらん。その自分より少しでも成長できるように努力してごらん」と。現在の自分はどうなのだろう?周りの人と比較してばかりいるではないか?過去の栄光に酔いしれて、無能な現実を認めず、認めるのを怖がっているのではないか?そう思うと涙がとめどもなく流れてきました。声を出して泣きました。しばらく泣いたあとこんな言葉が頭をよぎりました。「石の上にも3年.・・・・」再就職して2年半、残りの半年、どう使おうか?だらだらやっても半年。死ぬ気でやっても半年。同じ半年なら・・・・自分にかけたくなったのです。死ぬ気でやっても駄目なら辞めればいい。そう思ったらすごく気が楽になり同時に力が沸いてきました。「思いたったらすぐ行動」のポジティブな性格が幸いし、すぐに行動に移しました。通信教育で「自動車の構造と製造」を学びなおし、初心にもどって勉強しました。CADのほうも課長に「朝、仕事の前や夕方仕事のあとにCADを勉強させてください」と許可をとりマニュアルをみて、一から学びました。雑用だと思っていた仕事にも全て学ぶものがあることも分かってきました。図面チェックをして誰よりも図面に詳しくなり、書類作成をとおしてエクセルやワードをマスターしました。「この世に無駄なことはないんだな」と思いました。
 「石の上にも3年」。本当にその言葉どおり3年たった頃、不思議なことにいろんなことがプラスになってきました。CADの業務も増え、責任ある仕事を任せられるようにもなりました。今までやってきた点と点が線でつながっていくような手ごたえを感じたのでした。
 私にとって最も必要だったことは技術力ではありませんでした。まず、つまらないプライドを捨てて、スタートラインに戻るということだったのです。謙虚な気持ちで仕事に向き合うことだったのです。そのことに気づくまで3年かかりましたが、全て貴重な経験で私には必要なことだったと思っています。
 今、私は毎日充実した気持ちで働いています。家族にも会社にも感謝し、出来る限りの努力をしてこの仕事を続けていきたいと思っています。