主婦の挑戦(エッセイを出版)

岩崎 ゆう(40代)

 「スゴイわ」「やりましたネ」「心をこめて書かれた作品が、題名通りの内容であり、また大変具体的で感動しました」これは私が出版した『祈り 思春期という季節』に寄せられた読後感である。
  私は昭和35年生まれ、大学四年と高校二年の二人の息子がいる。私自身は「主婦」というくくりに属する。
  都立高校を卒業した私は、大学に進み、日本文学を専攻した。卒論は川端康成の「雪国」論だった。私の若い頃は結婚適齢期を「クリスマスケーキ(25歳)」などと表現していた。今は「大みそか」というらしいが、実際はどうなのだろうか。
  大学を卒業した私は、通信教育で小学校二種の免許の取得をめざした。通信といっても一部大学に通う必要もあったのですぐには就職せず、その単位が取れてから、知人の紹介で会社勤めを始めた。先程、「クリスマスケーキ」の話をしたが、「是非に」と私に縁談をすすめてくださる方がいたので、結婚を前提におつきあいも始めていた。その相手が今の主人である。
  そして二十代半ばで私は結婚し、翌年に長男が生まれる。実はこの時点でまだ免許を取得するための単位が足りていなかった。子育てをしながら残りの単位を取り、私は何とか小学校の教員免許を取得した。そして30歳の時に、長男と5歳違いの次男が生まれる。
  その頃の私は先生になる夢をまったくあきらめたわけではなかったが、結婚をしたからには、一級建築士の夫をサポートし、家を居心地のよいものにしたかった。又、子供を授かったからには、責任を持って、きちんと育てたいと思った。
  主婦としての暮らしが私は好きだ。衣・食・住は人として生きる上で、おろそかにできない大切なものだろう。そして二人の男の子を育てる上でも、主婦でいられたことは幸せなことだと感じている。子育ての「乱世」と思えるような時代に、男の子を育てることは片手間にできることではないから。
  けれど主婦としての日々に悩みはなかったかと問われれば、そんなことはなく、色々と思い悩みながら、その時々で、ハンドルをきって来たように思う。
  そうした私の暮らしに、小さな転機が訪れたのは40歳になった頃だった。サッカー少年だった次男が、小学校(公立)の吹奏楽部に入り、トロンボーンを吹き始めた。
  H先生という素晴らしい音楽の先生が赴任され、音楽を通し子供達に貴い経験をさせてくださった。けれど次男が五年生の五月、先生は帰らぬ人となる。
  都の大会でも大人顔まけの、素敵な演奏をする子供達の活動をどう支えてゆくか。世話係と呼ばれる約8人のお母様達の懸命なボランティア活動が始まる。実はこのボランティア活動を私は二年務めることになる。H先生と直接お話したことはないが、H先生の子供達への音楽への深い思いに、教師をめざした私は共鳴していた。
  約80名の子供達と楽器を、無事にステージにあげ、演奏をしてもらうには、やるべきことは山のようにあった。ここで出会った有能な主婦の方々に、私は良い影響を受けた。テーマパークの広報部や銀行で働いたことのある彼女達の仕事ぶりは速く、的確だった。初めの頃、私は彼女達についてゆくのがやっとだった。
  けれど活動に慣れ始めた頃、小学生にわかりやすい言葉で話す能力、あるいは問題(小学生の場合、親も登場するので対応が必要)が起きた時、解決してゆく力が自分にあることを知った。ボランティア活動を通して、私は自分を再確認できたと思っている。
  そして次男が高校生になった46歳の時、私は今まで、娘、妻、嫁、母として暮してきた自分に、「二十年後、66歳の私に、どんな私でいてほしいか」問うてみた。そして許される範囲で、「自分を伸ばし、少し大切にしてあげよう」と思った。又、息子達も、私が子離れしてくれるよう望む年齢になっていた。
  やりたいことは幾つかあったが、一つにしぼった。長年書きためてきた文章を、エッセイにまとめること。子育てエッセイとして、出版すること。私は大海にこぎ出す決心を固めた。
  いとこの謙一郎君がステキな「17歳の少年」の装画をかいてくれて、『祈り 思春期という季節』(文芸社)は出版された。
  それに伴い私のホームページ(http://www.creatorsworld.net/inori/)も完成した。ホームページには多くのアクセスがあり、リピーターも増えている。又、手ごたえのある読後感や、厳しい日常をかかえているお母様から「救われる思いがしました」という深いお手紙もいただいた。
  今、女性が社会で活躍する仕組みは整いつつある。けれどその一方で、社会の変化に「心」が伴ってゆけず、心の病にかかってしまう女性が増えつつあることを私は危惧している。
  「子を生み、育てる」という女性の性を前向きに生き、その豊かさとともに女性の能力を発揮できる社会を、皆で知恵を出し合って創っていくことができればと思う。
  「女性の再挑戦」の体験談として、私の人生の歩き方が、少しでも参考になれば、幸せに思う。