『セカンド・チャンス』経験事例

K・S(50代)

 私は現在、臨床心理士として東京都の中学校や小学校でスクールカウンセラーをしています。大学卒業後すぐに結婚して22年間専業主婦を続けていた私が、どのようにセカンド・チャンスをつかみ、現在に至ったのか――非常に個人的な体験ではありますが、その中から何か普遍的なものを感じていただければと思い、体験をお伝えします。
 今から30数年前のことになりますが、私は小さい頃からの憧れの職業であった小学校教員になるために、教員免許の取れる日本女子大学の児童学科に進学しました。卒業後は当然教員賦験を受け就職するつもりでいましたが、当時付き合っていた現在の夫が転勤のある職場を選んだために、私の方は教員の夢をあきらめることになりました。大学卒業後2日目に結婚式を挙げ、優しい夫や息子たちのためにパン作りや刺繍の教室に通い、子どもの学校のPTAの役員などをして、専業主婦としてそれなりに忙しく毎日を過ごしていました。
 ところが、30代も半ばを過ぎた頃、あとから思うと私の人生の大きな転機となった出来事が起こりました。中学二年生になった次男が、不登校になってしまったのです。息子は学校を休みだしてから、それまで心の中に溜めていた友人関係のことなどを堰を切ったように話すようになりました。話を聞いて、親としては当然、意見やアドバイスをしましたが、こちらが良かれと思って話していることが息子にはちっとも通じずに、逆に反発を招くようなこともあって、何故だろうと疑問を感じるようになりました。家族中が息子の不登校に巻き込まれて混乱していました。
 ちょうどそんな折に開かれた児童学科の同窓会で、「桜楓会(女子大の同窓会組織)のカウンセリング研修会に行ってみたら」と勧めて下さった方があり、息子との関係を何とか良くしたいという一念からカウンセリングの勉強を始めました。その後、息子が元気を取り戻して高校、大学に進学したあとも、私の方はすっかりカウンセリングの勉強の奥深さにハマッてしまっていました。息子のための勉強は、いつしか自分自身のための学びとなり、仕事をしてみたいという気持ちも募ってきていた時期に、気に掛けて下さっていた桜楓会の先生から、「埼玉県の教育委員会が中学校の相談員を募集している」という情報をいただきました。カウンセリングの勉強を始めたときにも感じたことですが、こちらが真摯に求めていると、ちょうど良いタイミングでチャンスが巡って来るように思います。その後につなげる為には、チャンスの前髪を掴むことが大事です。
 私にとっては、44歳にして初めての就職経験でした。子育てもほぼ終了という時期だったこともあり、夫も、「受けた教育は社会に還元すべきだ」と心から応援してくれました。
 この「さわやか相談員制度」は、県下すべての中学校で、生徒が学校にいる間はいつでも相談室に相談員がいるという状態を作ったという点で、全国に先駆けたすばらしい試みでした。ある中学校に毎日勤務することになり、当時中学二年生だった女子生徒との出会いが、私に2度目の転機をもたらすことになりました。その生徒は、卒業後も相談室に頻繁に電話を掛けてきていましたが、或る時から私を含めて家族以外のすべての人間関係の記憶を失ってしまいました。長期に亘ってこの生徒に関わっていた私にとっては、わけが分からないうちに自分だけが取り残されたような気持ちになり、その子のことを人に話したり思い出したりするだけで涙ぐんでしまうような心の状態がかなり長く続きました。そんなある日、突然、「大学院に行こう。このまま素手で戦っていてはダメだ。もっとちゃんと勉強して専門性を身につけよう。仕事がきちんと評価されるスクールカウンセラーになろう!」という強い思いが、天啓のように湧き出てきたのです。
 それまで人から臨床心理士資格取得を勧められても、大学院に行くなどという話は自分にはまったく関係のない別世界の話だと思っていたのですが、不思議なことにこのときばかりは本気になって、勤務の傍ら大学院受験のための予備校に夜間通いました。おそらく人生で一番勉強した時期だったと思うのですが、さわやか相談員制度について検証を加えた論文を書きたいという希望もあって、48歳で埼玉大学の大学院に入学を果たしました。息子と同世代の同級生や若い教官にいろいろ教えてもらいながらの大学院での学習は、自分の中に「学びたい」という強い気持ちがあり、それが十分に満たされるとても楽しい時間でした。大学院修了後、1年間の実務経験を経て臨床心理士試験に合格し、念願のスクールカウンセラーになって現在に至っています。当初は試験に合格することが到達点と思っていたのですが、実際に仕事をしてみると、自分の未熟さを感じることも多く、ますますの勉強の必要性を感じています。
 振り返ってみますと、専業主婦であった私にとって、青天の霹靂のような出来事であった息子の不登校があり、あの女子生徒との出会いと突然の別れがあり、時々の必要に迫られて必死に勉強を続けていく中で、何かに導かれるように道が開けてきた感があります。職種は違っても、自分の小学校のときからの夢であった学校現場で働くようになりました。C.ロジャースは、「人間という有機体の中にある、前進していく傾向に対する信頼」ということに言及していますが、私も、人間は苦難の中にあっても成長に向かっている、自己実現に向かっていると実感しています。