夢とは、叶えるもの

鈴木 郁恵(20代)

 私は、一生涯のテーマとして「社会貢献・地域貢献」を掲げている。いつ決めたのかといえば、1996年春、日本女子大学入学式、学長の講演を聞いたときに違いない。当時の学長が、本学は女性の社長を一番多く輩出している大学であると述べたとき、自分の目標が定まった。社長として現代社会の一翼を担っている先輩達に倣って、自分も社会のために(特にこれまで自分を育て支えてくれた地域のために)生きていきたいと、衝撃的に思った。例えば医者や警察のような、誰もが描く社会的存在でなくても、自分にしか出来ない方法で。元々日本女子大学への進学を決めたのは、偶然とも言える小さな理由だった。高校の社会科先生が、授業中成瀬先生の創った日本女子大学を褒めたことが、何故か心に残っていた。見逃してしまいそうなくらいの些細な出来事だが、第一志望の大学を変更して日本女子大学に入学したことを、今では必然だったと思っている。在学中に学んだことは全てが財産だ。教職課程を取っていたことで授業をたくさん受けたことも、ゼミで代表に選んでいただいた地元の伝統工芸に関する卒業研究も、尊敬し合える仲間と出会えた放送サークル活動も、全てはあの時、18歳の時の選択が間違っていなかったからこそ得られた結果である。胸を張って、4年間の大学生活を日本女子大学で学ぶことができて良かったと言える。
 卒業後、就職先には地元の銀行を選んだ。社会貢献・地域貢献に-歩でも近づくため、というのは後付けかもしれないが、地元になくてはならない存在の企業の中で、いかに自分の想いを叶えられるか、という願望に近いものだったように思う。もちろん最初は戸惑いの連続だった。イメージだけで銀行の仕事というものを捉えていたことは甘く、理想には程遠い自分に悔しい思いをした。しかし、窓ロに立って銀行の顔となり、お客様のことを一番に思い、地域の方々に選んでいただけるような銀行にすることを目標に、元来の負けず嫌いと人並み以上の向上心を発揮して、3年で理想に近づけた。毎朝早く起きて、ニュースからその日の話題を整理し、どんなに忙しくても笑顔と挨拶と親切だけは忘れずにお客様と接した。人一倍勉強して資格も取った。もちろん業績にもこだわり、外回りの営業に負けないくらいの実績も残した。最初に配属となった支店からの転勤が決まった最終日に、たくさんのお客様からプレゼントを頂き、中には泣き出してしまうお客様もいらっしゃって、やってきて良かったと心から思った。その後2つの支店を経験し、同じように窓口担当をしてきたが、やはり最初の支店のことは忘れられない。ここまで成長できたのも、右も左も分からずに入社してきた私を支え、成長させてくれた先輩方がいてくれたおかげである。人との出会いほど大切なものはない。そういう意味で、私は本当に幸運だった。目標となり、リスペクトできる先輩が身近にいたからこそ、短期間で成長できたのだと思う。その方々は今でも大きな存在で(現在進行形で昇り続けているのでなかなか追いつけない)、感謝しきれないほど感謝しているし、できれば少しでも近づきたいと思っている。常に向上心をもって学び続けること、視野を広く持つことが、自分のため他人のため、引いては社会のためになるということを実感できた場所だった。銀行での仕事にやりがいや楽しみを見出してきた頃、同時に忘れられない夢の存在も思い出し始めていた。
 日本にプロサッカーリーグ「Jリーグ」が出来たときから、サッカー観戦が趣味のひとつとなり、数年来は周りの友達の影響もあってかなり深入りしていた。そのとき知ったのが、地元にある「水戸ホーリーホック」というチームである。大学時代、大好きだったスポーツの世界、サッカーの世界で働くことを夢見ていたが、本当に狭き門で、ましてや何の関わりもない自分が働くことは到底無理だった。しかし、夢は見るものではなく、叶えるもの。目標に向かって努力し続ければきっと叶えられる。それを知った今、またそのときの夢を復活させてもいいのではないか。そう思ったにはもう一つ理由があり、応援していた水戸ホーリーホックというチームが、地域に根ざした市民クラブを目指しているのにも関わらず、認知度も低く、応援している人が少ないと知ったからである。例えば有名な浦和レッズや鹿島アントラーズのように、地域に必要なチームとなって欲しい。そのために自分は何か出来ないだろうか。そう思ったのは、自分の根底に社会貢献・地域貢献というテーマがあったからだろう。しかしそう思ったからといっても当然直ぐに入社できるはずもなく、打開策を見出せないでいたが、偶然水戸ホーリーホックにチアリーデイングチームを創設するというニュースを知り、それなら自分でも参加できるのではないかと、経験がないにも関わらず無謀な挑戦をした。幸いにもオーディションに受かり、練習を重ねて出演したデビュー戦で、突然会社の方から呼ばれ、入社のお誘いを受けることとなる。聞けば、私の経歴を知った関係者が、水戸ホーリーホックで働きたいと思っていることなど一切知るはずもないのに、社長に進言しており、当社で働いて欲しいと言う、願ってもないオファーをいただけたのである。余りに突然のことで信じ難かったし、当然働いている銀行にも迷惑をかけることになるので、人生においてこれ以上悩むことはないであろうというくらい迷った。しかし、銀行での夢に一段落が着いていたというある意味達成感と、チャレンジしたいという好奇心、向上心、そして何より夢を叶えることの大切さを想い、ふたつ返事で承諾した。(実際銀行を辞めて、次の就職先に行きたいと話したときの辛さや、迷惑をかけてしまったという後ろめたさは、耐え難いものであったが。)しかし、入社することで満足するのではなく、スタートラインに立っただけであるということを肝に銘じ、懸命に働いた。入社した当時は、散々たる社内の様子や社員の仕事振りに辟易し、人気のない理由、応援してもらえない理由を悟ったが、自分を選んでいただいた意義を無駄にしないためにも、同時に入社したもう一人の社員と一緒に、良い方向への変革だけを考えて本気で頑張った。入社後1年たった頃から、徐々にその成果が現れてきたように思う。人財も含め、社内の様子が変わり、社員の気持ちが変わり、2008年シーズン開幕(Jリーグは3月初めに開幕する)に向けて動き始めた今、明らかに良い風が吹き始めている。入社した頃は、それこそサークルか同好会かと言うような雰囲気の会社だったのが、今では普通の会社になってきている。本当に単純なことだが、規則や決まりや規定やあらゆる常織が無かった会社が、襟を正すように、スマートになってきている。活発な討論や意見が毎日組み交わされている。昨年末、2008年シーズンの目標として決めたことに、みんなが前向きに動いている。私は今の会社で、総務・財務・人事・秘書など一言では語りつくせないほどの様々な業務を抱えており、通常業務以外にも試合やイベントやチアリーデイングチーム・スクールの運営など、言葉通り土日も無く働いている。それこそ体育会系、男性中心社会で、女性であることなど関係なく、力仕事もしている。でも「すっごく楽しい。」その言葉に尽きるのではないだろうか。みんなが同じ夢に向かって走り出し、-つの夢を叶えたらその先には更に大きな夢がある。そのメンバーの一員として働いていることを誇りに思う。我がチーム、水戸ホーリーホックが飛躍し、素晴らしい話題を提供できるような状況になることが、地域の活性化にも繋がる。ここでもたくさんの人と出会った。幸いにも社内で比較的重要な役割を担わせていただいているため、本当にいろんな人と出会える。これからも密に付き合っていきたいという人にもたくさん出会った。夢を持ち続けること、向上心を持ち続けること、謙虚な気持ちを忘れないこと、そして出会いを大切にすること。後悔しない、素敵な人生を歩んでいくために、これからも忘れないでいきたい。今の会社で夢を叶えたら、次は何をしよう。考えるだけで、とても楽しい。