チャンスはいつも“いきあたりばったり”
匿名(50代)
現在、私は独立行政法人・水産総合研究センター・中央水産研究所で、支援研究員(契約職員)として週4日勤務し、魚類の繁殖生理学的研究の一端を担って収入を得ている。その傍ら、県内の博物館、大学、水族館、海上保安庁に勤める同好の士らとボランティアチームを作り、茨城県や神奈川県の海岸に打ち上がる鯨類の死体を調査したり、可能な範囲で時間を作って自分自身の研究テーマである“イルカの形態学”に関する所見を収集し、その結果を学会等で発表している。実はこれまで“計画的に物事を運んできた”という記憶がない私には、来年の今頃自分がどのような環境にあるのか見当がつかない。
小学校高学年の時に見た、イルカをめぐる米国製の冒険ドラマ「わんぱくフリッパー」が少なからぬ影響を私の人生に与えることになった。中学、高校生活の中でも常に頭の片隅にあった“イルカへの思い”。イルカを研究対象にしたい、という夢を具体化するために1976年に水産学科のある大学に入学するも、学部の4年間では“イルカ”に辿り着けず、卒業後初めて研究生および修士課程の大学院生として“イルカの骨格”を研究テーマとして扱えることになった。研究場所は標本の豊富な国立科学博物館、実際には論文執筆に充てる時間より骨格標本を作製し整理する時間の方が圧倒的に多かったが、一つ一つの作業が自分の身になっていくようで、3年間の充実した時間はあっという間に過ぎた。当初より、私の我が儘な研究生活は修士課程終了まで、という担当教授との約束があったこともあり、たいした未練もなく家庭に入り“専業主婦”の生活を始めた。26歳、27歳で出産。当時は近隣の保育所の入所条件が厳しく、子供を預けて職探しという事は難しかったし、自分の子供を自らの手で育てるという事にも、興味があった。
約10年が経過し、子供達も小学校の中〜高学年。標本の臭いがそろそろ懐かしくなった頃、久々に国立科学博物館を再訪。ちょうどキュレイタアが交代し、標本庫の中身について多少の記憶が残っていた私が手伝える事もあって最初は2週間に1度、そして1週間に1度、さらに週4日・・といった具合に標本整理のボランティアを始めた。ところが、ボランティアというのはどうしても持ち出すお金が多くなる。近所の子供達の家庭教師などで交通費や小遣いを賄っていたのだが、3年ほど経ったある日、新聞広告で葛西臨海水族園の解説員を募集していることを偶然に知って応募、幸いなことに採用された。博物館でのボランティアに割く時間を一部削って解説業務を始めた(週に3-4日)。だが葛西臨海水族園には私の得意分野であるイルカはいなかった。魚に関しては素人同然、にわか勉強で知識を頭に叩き込み、入園者からのツッコミに連日冷や冷やしながらも、任期の1年半を終えて貯金もできた。標本作りに終始するのではなく、そろそろ自分のテーマ(イルカの肉眼解剖)を持って博物館で研究を再開しよう、と思っていた矢先に博物館のキュレイタアとの意見の相違が生じ、そこからも離れることになった。
さて、どうしたものか・・・。イルカを研究するには標本(イルカのホルマリン固定標本)が必要である。無所属の私がイルカを手に入れて、解剖する場所を確保するのは現実的に難しい。でも、ここで諦めたくはない。手詰まりで頭を抱えていた時に、古巣の研究室の教授が救いの手を差し伸べてくれた。私が学部生だった頃、研究室の助手として指導をしてくださった方である。大学院博士課程への復学を勧められ、ものの10分程の話し合いで受験が決まった。不惑にして今度は受験勉強である。さびついた頭をギシギシと軋ませながらの数ヶ月だった。
なんとか16年ぶりに復学して所属を得た。学費も解説員業務で得た蓄えで賄える。しかし、研究室に“イルカ”は無い。研究テーマを自分でひねり出し、標本を自分で集めなければならない。アドバイザーも必要である。次々に壁は現れたが“どうやってこの壁を攻略してやろう?”というモチベーションにこそなれ、諦める気にはならなかった。実は、そのモチベーションを支えてくれたのは“人”である。そもそも家族や両親の協力なしには学生生活は難しかったわけだが、研究遂行上の問題が起きたときにも、必ず誰かが手を貸してくれた。それも思いもかけない人々が。ある時は水族館のトレーナーや獣医師が、ある時は博物館の研究員が、そして研究室の先輩や後輩達、他大学の先生や同好の士、漁師など枚挙にいとまがない。一生の友人にも巡り会えた。常勤ではないが専門学校での講義や大学での特別講義、本の執筆(分担著)などの依頼も受け、その仕事を通してまた人脈が広がる。現在の職も先輩の紹介で得たものである。学位というライセンスを得たから掴めたチャンスというより、ライセンスを得る過程で培った人脈そのものが私の人生の宝でもあり、チャンスの源である。実は、この原稿を投稿して2ヶ月後、また新たなチャンスに出会った。「腹びれのあるイルカ」の話をご存じだろうか。2006年秋、和歌山県で腹に1対のひれを持つイルカが見つかった。この個体は「先祖返りしたイルカ」として高い学術的な価値が認識されて国内外で大きな反響をよび、国際的な研究チームが結成される事になった。そのプロジェクトチームの一員として声がかかったのだ。イルカの進化の謎にせまるべく、研究計画を練らねば・・・。