子育てから子育て支援へ

有北 郁子(50代)

 私は現在、子育て支援のNPO法人の理事長をしています。
 結婚そして3人の子どもの出産により、それまで関わっていたフリーの編集、ライターの仕事が自然消滅のように収束し、家庭で子育てに従事する日々が、約10年続きました。その間、第3子が大病をしたこともあり、子育てが想像以上に困難な時期もありました。夫と結束しながら、周囲の助けを借りながら、それらをやっと乗り切りふと我に返った時、どうしようもない喪失感といらだち、むなしさが襲って来たのです。
 「私の人生はこのまま、子育てだけで終わってしまうのだろうか…」。
 確かにつらい思いはたくさんしましたが、子育てがいやというのではありません。毎日3人の子どもと格闘するように朝から晩まで過ごし、子どもたち一人ひとりの育ちを実感することは、なまじの仕事よりもずっとおもしろく、喜びでもありました。
 でも、子どもが成長するに連れて、出産前の働いていた自分、仕事の達成感、社会とのつながりを時々思い出すようになり、家庭に取り残されたような焦燥感が強まり、この先にあるはずの自分の人生の未来像を、想像できないことに気がついたのです。
 そんな時、たまたま出会ったのが、地域で子育て情報誌を作ろうとしている若いお母さんたちでした。今自分にできることはこれしかない、という思いで参加を決めたのは第3子が3歳のときでした。
 当時はまだインターネットも普及しておらず、携帯もなく、川崎という地域で子育てをする中で、役に立つ情報が身近に少ないことから、乳幼児を子育て中のお母さんたち5人が自らの手で情報を集め、発信しようというのが目的でした。
 子連れで企画、取材、資金作りのための広告取り、原稿書き、編集、レイアウト、版下作成まで全て自分たちで行い、94年7月川崎、横浜周辺の子育て情報誌「ままとんきっず」1号を発行しました。 幸い地域で初めての子育て情報誌ということもあり話題を呼び、同じように情報を求めていたお母さんたちから、こんな情報誌が欲しかった、自分も一緒に活動したいという声が多く寄せられました。当初は作業のあまりの大変さに、もうやめようとさえ思っていたのが、その声に励まされて継続することになったのです。
  その後、雑誌作りと並行して自分たちがやりたいと思ったこと、子育て講座、子育てコンサート、子育てサロン、子育ての知恵を集めた単行本の製作、ミニコミ紙の発行、メール相談なども行うようになり、活動約2年目で独自の事務所を地域内に構えました。 そして2002年7月、事業の広がりと社会的責任を考え、NPO法人を取得しました。
  現在スタッフは約50名。会員数は約160名。法人化による事務や経理の作業量は増大しましたが、委託事業を受けることも多くなり、行政との協働も増え、施策作りの委員会への参加や、講座、講演会講師の依頼も増えました。子育て支援関係者とのネットワークづくり、毎年4000人の参加のある地域関係者との子育て祭り、大学教授とともに開発した新しい講座プログラム「育自分」、行政との連携による父親を含む支援「親と子の育児園」の運営、同じく連携による小中学校での赤ちゃんふれあい体験授業、産後ヘルパーサポート、ママサポート、一時保育、グループ保育など。その時必要と思われることを次々に実行し、子育て中の当事者が立ち上げ、発展させてきた民間の子育て支援センターとも言える事業形態になっています。
  少子化対策、子育て支援、次世代育成プランなど、現在でこそ行政もようやく子育てに関心を払うようになってきました。 しかし地域で子育てといいながら、実は子育ても子育て支援も専業主婦の低賃金の労働力によって行われ、その循環の中で母親が家庭に引き戻されようとしているのではという懸念もあります。そういう矛盾も長年活動してきたから見えてきたことで、この仕事に従事しなければ気がつかないままだったと思います。活動開始以来15年目を迎える現在も、資金不足、人手不足の悩みはつきず、果たしてこれでいいのかというジレンマも絶えずあります。 でも、この仕事は私にとってライフワークと言えるほど生きがいになっています。いつかは世代交替をしたいと思いつつも、新しい課題、夢が次々に湧いて来るおもしろさを捨てることができないまま、今日まで来ました。夫や子どもにも助けてもらいながら、スタッフや地域の人たちと目的を持って共に歩めることは本当に喜びです。
  私は今、神様から与えられた素晴らしいセカンドチャンスに心から感謝しています。