結婚・出産後『働く女性』として、行政書士に

今里 佳重(40代)

 振り返ってみると、私にはファーストチャンスさえなかったのではなかろうか。大学を卒業した1980年代半ば、「男女雇用機会均等法」は成立したばかりで、現実には、女子は自宅通勤者のみ採用と企業が平気でいう時代だった。もちろん男子のみ採用のケースが圧倒的だった。
 就職活動に入るまで、私はずっと女性にも男性と同じチャンスがあると思っていた。同じような社会人人生が待っていると思い込んでいたのだ。今思えば世間知らずも甚だしいが、幼稚園から大学に至るまでいつも負けるなと周りと競争させられていたのだから、そう思うのも仕方あるまい。競争相手に男も女もなく、成績がクラスで何番、学年で何番、県下で何番、全国で何番というのは、当然男女混合での順番だ。だのに社会に出ようとした途端に、「競争の枠に入っていません。」と突然宣言されても釈然としない。この思いは実は執念深く今も引きずっている。
 今もそうかもしれないが、当時の日本社会は「決してリターンマッチのできない社会」だった。新卒で就職した場所が社会人としての終の棲家となる。やり直しは利かないのだ。また同様に「働く女性など本気で求めていない社会」でもあった。
 このことは結婚・出産と経験していく中でいやというほど思い知らされた。
結婚で退職したものの働きたかった私は移り住んだ先で仕事を見つけ働き続けた。もちろん正社員の採用などなく契約社員等で1~2年の任期だが、次々に新しいことにチャレンジできるのだからそれはそれで楽しくもあり勉強にもなった。出産後は働き続けるのが難しい環境だったため納得した上で専業主婦になったが、仕事をしていない強い不安感と焦りを味わった。
資本主義国にあって、収入もなく、ゆえに消費もできないことは、バブル期に青春時代を過ごした私にとっては想像以上に辛く、自分が意味のない存在になってしまった気さえした。経済の大きな循環の中に全く組み込まれないのは社会の落ちこぼれだと感じた。子育ても家事も立派な仕事と、その当時の私は思えないほど焦っていたのだ。
乳幼児と二人きりの時間が長い生活は普通に日本語を話す機会さえなく、どんどん気持ちが落ち込み、チャンスは永遠に葬られたと感じた。なんとかしたいという思いで職安に出かけた。小さな息子を抱っこしてバスに揺られて辿り着き、何とか今の自分でもできそうな仕事をピックアップし窓口に行くと、子どもはどうするのか、保育園を確保してから出直しなさいと言われた。再びバスに揺られ市役所に向かい保育園入園相談の窓口に行くと、職探しの段階で入園できるわけがない、働きながら待機している人がいっぱいいるのだから、仕事を始めてから来てくださいと言われた。仕事が先か?保育園が先か?鶏と卵だ。職安と市役所を往復しているうちにだんだん腹立たしくなった私は新聞の投書欄に「日本社会は働く女性を本気で求めていない。」と社会的に孤立する母親の現状を訴えた。投稿するたびに採用され、謝礼をいただいた。今では職安にママコーナーがあるらしい。ほんの数年前とは雲泥の差である。
職安通いではっきりとわかったが、子どものいる女性を雇おうという会社は本当に少ない。生産性が低いのだから当たり前だ。このまま仕事探しを続けても結果は厳しい。人生の後半で不安や不満を抱えて次々にパートやカルチャーセンターを渡り歩く自分が想像され、今何かしなくてはと強く思った。子どもがいても夫が転勤になっても、自分のペースでできる仕事がしたい。あなたは何ですか?と聞かれたときに、わたしはこれですと言えるはっきりとした職業を持ちたい。そんな思いから、資格を取得し独立しようと決心。行政書士試験を受けることにした。しかし法律の勉強は全く初めて。相談相手も指導者もなく学習は難航した。息子の昼寝中や家族皆が起き出す前の早朝を学習時間に充てた。なじみのない法律用語が並ぶ分厚い参考書はなかなか理解できず自分が情けなくなることもたびたびだった。それでも不思議と勉強は楽しかった。
今思えば勉強がしたかったのかもしれない。自分の未来につながる何かがしたかった、社会を感じられる作業がしたかった、自分のために使う時間が愛おしかった。予備校に通う資金もなく独学で挑んだ試験、3度目で合格した時はほっとした。
 今はまだまだ駆け出しの行政書士で正直自分がこの仕事に向いているのかさえ不明だ。しかし合格以前の自分とはまったく違う人生がある。行政書士であるから与えられる学びの場、役に立てる場がある。資格取得をきっかけに人脈、行動が広がり、次々と自分のしたいことが広がっていく。行政機関の委員や所属団体の理事をさせていただいたり、紛争解決の手法である「メディエーション」の最先端のトレーニングを大学で受けたり、「哲学カフェ」を主催したり、ありがたいことに自分のしたいことをどんどん実践できる環境に今ある。あの時、何かしなくてはと強い危機感を持って本当によかった。日本社会の本音に不満を募らせてよかった。意地を通して勉強してよかった。
将来の自分を作るのは今の自分だ。苦しんだころの私が今の私を作っている。やっと巡ってきたこのチャンスをもっと活かして、人生の後半を美しく輝かしくデザインしていきたい。