主体性ということ

匿名

 私は今、歯科衛生士という天職を得て、エキサイティングで充実した日々を送っている。私のセカンドチャンス、第二の誕生ともいうべき機会が訪れたのは35歳の秋であった。子どもの頃から引込み思案で、親の力で就職し、これといった足跡も残さず3年余りで退職、恋をして結婚した。それまで、私にとって社会は、ただそこにあるものであった。しかし、子どもが生まれ、「この小さき者を守らねば」という気持ちが芽生え、私の第二の誕生へむけての胎動が始まった。安全なものを食べさせたいと、生活協働組合に加入し、食について勉強した。新聞をしっかり読み、仲間と語り合い、未来ある子ども達に、少しでも良い環境を残したいと、石けん運動、ゴミ問題にも取り組んだ。湾岸戦争の折り、自衛隊の海外派遣に関する法案が国会に提出された時にはチラシを配り、署名を集めて反対した。微力でも、何もしないよりはと、活動を続けていたが、かつて自分がそうであったように、社会の出来事に無関心な人が圧倒的多数であると痛感していた。
 そんな頃、第二の誕生のきっかけとなるできごとが起こったのである。その日、私は親知らずの抜歯のために歯科医院に行った。根が深く複雑な形であったらしく、難航したが、担当医は丁寧に説明しながら処置を続けた。痛みと口を開けていなければならない辛さの中で1時間ほど経った頃であろうか、私の気持ちに変化が起こった。「処置をしているのは先生だが、これは自分の問題なのだ」と感じ、辛さに変わって闘志が涌いてきたのだ。主体性を持つと、苦痛も楽に乗り切れることを体感した瞬間であった。処置は無事に終わり、順調に回復、私は自分の心の変化の意味を考え、人々の社会への無関心さを嘆くのではなく、人々が主体性を持って生きるための手助けになるような仕事をしようと決心したのだ。
 歯科で生まれた「主体性」であったので、その関連の仕事から調べてみた。歯科衛生士という職種があり、それは、人々が歯の健康を守る手助けをする仕事だと知り、この仕事を通し、社会を変えていこうと思った。専門学校で2年間学び、国家試験に受かれば歯科衛生士になれる。私は市内の都立高校に飛び込み、進路指導をしてもらい、子育ての傍ら受験勉強、6倍の難関を突破し、東京医科歯科大学歯学部附属歯科衛生士学校に合格した。入学式の日、ここでこれから歯科の勉強ができるのだと思うと身が震えるほど嬉しかった。
 「砂地に水が染み込むように」というたとえがあるが、当時の私はまさにそのような状態であった。どの講義も聞き漏らすのがもったいなく、ノートを取り、質問した。子どもの頃、ぼんやりと授業を聞き、機械的に板書を写し、テスト前に一夜漬けで暗記していた自分とは別人のようであった。年齢的にハンデがあるため、実習、国家試験対策と平行して就職活動も級友より早くから始めた。平成9年、卒業の年に、ちょうど地元、清瀬市で歯科衛生士を募集しているとの情報が入り、嘱託職員となり現在11年目である。また、都立病院歯科、老人保健施設などでの臨床、口腔ケアの仕事、学校での講義や施設職員研修なども行っている。どの仕事も一度として辛いと感じたことはない。泣いて暴れる子どもや、食べかすや歯垢だらけの寝たきり高齢者の歯磨きをするのも嫌だと思った事は無く、むしろ、そういう方に会えたことを幸運だとさえ思うのである。
 引込み思案で、無気力な子どもであった私が、どこにでも出向き、どんな仕事もやり遂げられるのはなぜであろうか。「主体性を持つ」ということが私の行動様式を変えたのだと思っている。何か行動を起こさねばならない時に、やれない理由を数え上げればいくらでも出てくるだろう。主体性を持つと、やれない理由ではなく、やれる方法を考えるようになる。「子どもが小さいからできない」のではなく「小さい子どもも一緒に家族で協力し合うよう話し合う」のである。「もう少し若ければできる」のではなく、「これからの人生で今日は一番若い」のである。主体性を持って、やろうと決意し、方法を考え、協力してもらえるよう努力すれば道は必ず開ける。とは言い条、うまくいかないこともたくさんある。しかし、諦めずにやり抜いたという体験が次への自信を生むのである。成功体験を重ねると失敗を恐れることがなくなる。そして、仕事だけでなく、生活全てが充実してくるのである。
 余談になるが、私は運動は苦手中の苦手で、体育の成績は1と2しか取ったことがない。しかし現在、ウエイト・トレーニングではベンチプレス60キロ(体重の1.2倍)を挙げ、市民マラソン大会(4km)では5位入賞、ゴルフの月例競で優勝したこともある。「主体性を持つ」ということが人の行動をこれだけ変えるのである。私は歯科衛生士としての仕事を通じ、つねに問いかけている「あなたはどうしたいの?」「あなたはどう考えるの?」と。