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ささやかではあるけれど、セカンド・チャンスへの途上にて―書くこと、想うこと、そして、研究すること―

安孫子 順子(50代)

 人は若さの勢いだけで坂道を登れなくなったとき、今までの自分とこれからの自分の間に立ち、足がすくんでしまうことがあるのではないだろうか。わたしの30代は、たぶんそんな感じだったように思う。「自分」に折り合いをつけられなくなったとき、わたしは心の空虚さを「書く」ことで埋めた。

1.「書くこと」とわたし
 わたしには子どものころから‘手紙を書く’という習慣があり、文章を綴ることは、自分にとってなじみのある作業であった注1。実際その影響か、約10年間、子ども電話相談室お手紙版のような‘レターカウンセラー’という仕事に携わり―回答形式がパターン化されたものがあったとはいえ―、5千通をこえる相談事に手紙形式で回答した経験がある注2。また、断続的にではあるが、平成10年~13年ごろにはエッセイの通信添削を受け、信号待ちや電車のなかのちょっとした時間の隙間に思いついたフレーズをメモし、その思いをエッセイにまとめるということが生活のはずみになっていた。それは、自分の心の浄化や平穏、あるいはわきおこってきた瞬間の思いを記憶に留めるためであり、「書く」ことで葛藤から解放され、精神的に大人になった(成熟した)という実感がある。
 その思いを綴ったのが、「二度目の頂上」のエッセイである。
 (以下、「二度目の頂上」からの抜粋)
 人はいつ大人になるのだろう。幼いころ、わたしにはうれしいこと、悲しいこと、びっくりしたことなど、母に伝えたいことがいっぱいいっぱいあった。それらの言葉のほとんどを「いい子にしているよ」の文字にかえ、わたしは母に手紙を書きながら子ども時代を過ごした。
 書いている間は、遠くにいる母をひとり占めできたように感じられて、手紙を書くのが大好きになった。そうして、ひと文字ごとに寂しさのマス目を埋めていきながら、成人式を迎えた。
 就職もした。言葉を使い分け、きびきびと働くスーツ姿の自分はまるで大人のようだ。けれども、ひとりになって服を脱ぎ、心まで裸になったとき、頼りない子ども姿のままの自分がいる。ぽっかりと穴のあいた壊れた心を、なんで埋めて、どんなふうに過ごしていったらいいのだろう。
 30歳を過ぎた日、新聞の中に「子どもたちに手紙を書く。書いて、子どもたちの相談にこたえる“子ども手紙相談室”」という仕事の募集を見つけた。これはわたしのための仕事だ。大人になったわたしが、傷ついた子ども姿の自分に語りかけるための仕事だ。
 「先生、鉄ぼうで逆上がりができません」
 「先生、空はどうして青いのですか」
 そこには子ども時代に置き忘れてきた母に伝えたい言葉があった。5千通をこえる手紙を子どもたちに書いて、わたしはやっと自分の心をいやすことができたのだろう。10年書き続けたとき、今までより強くなって、本当の大人の入口に立ったような気がした。
 2度目の成人式。それは子ども時代の遠足の記憶につながる。小学生のときの山登り。町でいちばんの山の高さは615m。かつて火山だったといわれる名久井岳は、すっくとそびえる雄々しい山だ。
 背中にリュックはあるが、道のりが平坦なうちは歌だって歌える。道端のスカンポをかじり、「どろぼう」と呼ばれていたとげのあるオナモミを友だち同士でくっつけあい、ガラガラと元気よく歩いた。
 道が険しくなり始めると、だんだんと無口になっていく。さっきまでのおしゃべりのかわりに、ぜえぜえという息でこたえる。苦しさに思わず見上げた青空の向こうに、とがった山の頂が見えた。
 「あっ、もうすぐ頂上だ」
 そのときだ。後ろからふわりと見守るような声で、担任の先生が話してくれた。
 「最初に頂上が見えたときは、道はまだまだなんだよ。それから登りつづけて、2度目に頂上が見えてきたら、今度こそ本当に天辺が近いのだよ」 
 2度目の頂上。2度目の成人式。40歳を超えて、わたしはやっと大人になれたようだ。

2.書くこと、想うこと、研究すること(40代のわたし、そしてセカンド・チャンスへ)
 いくつかのPC雑誌での読者ライター、エッセイの掲載、書くことは、わたしの生活に確実にはずみをつけた。そんななか、図書館で『女性のための再就職講座』というパンフレットを見つけ参加したことで注3、20代から50代、婚約中の女性からお孫さんがいる方まで世代を越えた女性たちと、働くことの意味を語り合う機会を持てた。
 40代後半、そして今、わたしは法政大学大学院修士課程を修了し、よりよい組織の在り方を研究テーマにした研究会の仲間と、いくつかの大学の社会人向けの公開講座を担当する機会を得た注4。公開講座での人との出会いもまた刺激的であり、人生の正午を過ぎてなお、人は「学ぶ」ことで成長することができるのではないかと、改めて思う。
 臆病になりがちだが、人生の踊り場は、セカンド・チャンスへの道につながっている。

注1:父の仕事の都合で3歳ごろから両親と離れ、祖父母と暮らしたため、手紙を書く
 習慣があった。
 注2:進研ゼミ小学講座相談室(ベネッセ)でのレターカウンセラー及びレターカウンセ
 ラーの指導に関わる仕事である。
 注3:東京都品川労政事務所主催の講座で、女性のM字就職に対応するため、履歴書の書
 き方、アサーション講座、適職探し等、細やかなメニューで構成されていた。30名弱の参加者があり、講座修了後も仕事や生涯学習に関しての情報交換の機会を持ち、かけがえのない友人として交流を持っている。
 注4:明治大学エクステンション、お茶の水大LWWC等の公開講座である。
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