私の履歴書の欄外
松田 典子(20代)
語るべき言葉を手に入れたー突然そう実感がわいたのは、男女共同参画やジェンダー、などという言葉を耳にし、学び始めた時のことだった。それまで、周りから“女の子なんだからおとなしくしてなさい。”とか“女のくせに生意気だ。”などと言われ、行動が制限される度に腑に落ちない思いをしながらも、そういうものだと思って生きてきた。女は男よりも劣っているから、男の人に従っていくべきだ、と吹き込む人が私の周りには多かったのだ。私は身長が175㎝あるが、いつも目立たぬよう身を縮めていた。
将来に希望が持てず、さしたる目的もないまま大学に進学した私は勉強より、こんなに大きい私に好きだと言ってくれたボーイフレンドとのデートに夢中になった。夜中でも電話がくれば出た。会えば必ずセックスを求められ、そういう気になれない時でも組み敷かれたし、避妊に協力をしようともしてくれなかったが、従順に育てられた私は嫌だと意見するのも憚られた。
「妊娠したらどうするの?」
と聞くと、
「産めばいいじゃん。」
と言われ、これを愛だとかん違いして成り行きにまかせてしまった。そした私は妊娠した。それを告げると彼は
「まだ早いんじゃない?」
と言い、やがて休学し姿を消した。大きいお腹を抱え、大学生でシングルマザーとなった私は片道2時間の通学時間や噂や様々なことに耐えられなくなり出産後学校を辞めた。その後、人から聞いた話によると元ボーイフレンドだった人は1年間の留学をし、帰国後復学し、無事卒業したらしい。
生まれた子ども以外、私には本当に何もなかった。途方に暮れた。親戚の中には“うちの家系に泥を塗った。二度と敷居をまたがせない!”という人がいて、私はこの伯母を永久に失った。
仕事を探したが、学歴が中途半端で実務経験もなく、おまけに小さな子どもを抱えているのでパートやアルバイトとしてしか働き口が見つからなかったが、生きる為に働くしかなかった。真面目に働く姿を天は見捨てなかったようで、今の夫と出会わせてくれた。しかし、その時にアルバイトとして働いていた事務所は、新たに妊娠がわかると体に障るからと、当然のように契約を切られてしまった。
今度は周囲が安心する結婚、出産をし専業主婦となり、気持ちに余裕が出て何か学びたくなった。そこで、託児付きというだけで飛びついた、市が主催するなんだかとっつきにくそうな“男女共同参画”の講座に出てみることにした。そこで目から鱗の落ちる思いをし、自分を縛っていたのはジェンダーという見えない鎖だったということを知った。それからはまず自分自身を社会的性別役割に対する固定観念より解き放つことから始めた。性別という先入観のみで適性や生き方を決めつけられるのはもうごめんだからだ。半ば意地になり、今まで女性のものではないとされてきたことに挑戦しようと思い、実益にもなる資格を取得することにした。資格ガイドをたまたま開いたページにあった“最近では女性の取得者も増えている”という二級ボイラー技士に決めた。目標ができるとわくわくする。全く触れたことのない世界についての勉強は目新しく、ちっとも苦ではなかった。実技講習も、試験会場でも女性は私一人だけだったので余計に燃えた。一生懸命勉強した甲斐あって見事合格し、手元に写真付きの免許証が届くととても感激した。初めて自分の努力が形となったからだ。これに気をよくし、潜水士、X線作業主任者、ガンマ線透過写真撮影作業主任者、フォークリフト、危険物取扱者など、いつ使うのかわからないものも調子に乗って取ってしまった。勉強するのがこれ程楽しいと思ったことは今までなかった。
ある日、市の広報をめくっていると、市職員募集の案内があった。現業職で年令も受験資格内だし、何よりも二級ボイラー技士をお持ちの方、とある。“これだ!”と思い早速応募した。これが私の腰を据えての本格的な就職活動となった。一次の学科試験に向けて人生の中で避けてきた数学に取り組んだ。思っていたよりイヤな奴じゃなかった。試験当日、マークシートも独特の雰囲気も数々の資格試験で経験したので場馴れしていたのでがんばれた。合格通知が来た。二次は集団面接と適正検査、ベストを尽くしたが、この年は不合格となってしまった。正直激しく落ち込んだが、その悔しさをバネに1年間準備を整えもう一度挑み、晴れて私は翌年地方公務員となった。現在市内に3つある給食センターの中の一つで毎日およそ1万食の調理をしている。毎日が納期で大変だが、非常に充実した日々だ。また、職員組合の女性部の役員としてドメスティック・バイオレンス(DV)の問題にも取り組んでいる。人権は生まれながらにして誰もが持っている権利であるが、その存在自体を知らなければ主張できない。大学生の頃、私はデートDVの被害に遭っていたということを知らなかったし、相談する相手もいなかった。人々を苦しめる不条理な伝統や因習、迷信をなくし、正しい情報を得て、理解し、自分の言葉でまわりに広げていくことが私に与えられた使命だと思い、生涯通じて活動して行きたいと思う。そして、大切な人たちが幸せに暮らしていけるように守り続ける太陽に、私はなりたい。