女性の再挑戦 体験談

石塚 光里(40代)

 私は平成元年に日本女子大学英文学科を卒業し、IBMとNTTの合弁会社である日本情報通信株式会社に入社した。バブル絶頂期であった為、就職は割合すぐに決まったと思う。文系出身の身ではあったが、SEとして配属され男女差なく働いた。主に行った仕事は、システムの設計・構築で、納期が迫れば深夜残業も徹夜も普通にこなしていた。そして就職して7年たち、今の主人と知り合って結婚した。会社の風潮として、男性も女性も、結婚しても出産しても働き続けるという雰囲気があったので(育児休暇などの制度も充実していた)私も結婚した位では(?!)当然仕事を辞めなかった。新居のある小田急線湘南台駅から、当時会社のあった渋谷まで2時間位かかったが通勤し、そして4月に結婚して2か月後には長男を身ごもったが、それでも仕事を続けた。妊娠の経過が良かったことも一因だと思う。
 しかし仕事を継続することに迷いだしたのは、いよいよお腹が大きくなり、産休に入ろうかという妊娠9か月の頃だ。子供を保育園に預けて働き続けるのか?それともきっぱり退職し、育児に専念するのか?夫は、
 「仕事を続けてもいいけれども、自分の仕事が忙しいから、子供の病気の時等、育児の協力はできないよ。」
 と何とも無責任な反応。頼みの実母は、
 「私を頼りにしないでね…」
 …頼める状況ではなかった…。しかし会社では、
 「みさと、育児休暇終わったら戻ってくるよね?」
 というプレッシャー。本当に迷ってしまった。お腹の中のグルグル胎動している我が子に、
 「お母さん、どうしたらいいかなー?仕事は大好きだから続けたいんだけど、周りは協力してくれそうにない。あなたがお母さんと一緒に頑張ってくれる?」
 などと聞いてみたりした。
 平成8年1月27日に待望の第一子が生まれ、その小さな身体を抱いた時、私の決意は固まったと思う。親バカだが(こんなかわいい子を他人の手に任せられない…)と思ったのだ。8年勤めた会社に、出産と同時に別れを告げ、それからの約10年は、まさに育児三昧だ。長男出産後、平成10年に次男、平成16年に三男が誕生し、いつの間にか男の子3人の母になっていた。育児の中で、怒ることも嫌なことも多々あるが、得られたことも沢山ある。学んだことも沢山ある。
 その1つは、「子供は勝手に育たない」ということだ。勝手に育たないから、親(特に主たる育児を担う母親)は非常に多くの苦労をすることになる。一般社会がそういった母親の苦労を「子育てする上で当たり前」と突き放すので、母親達は余計孤立し、悩む。私自身もそうだった。特に長男・次男は小さい頃、喘息持ちで弱く、病院通いがやめられなかった。ただでさえ親子共々ボロボロなのに、「母親が神経質だからいけないんだ」とか「男の子なんだからもっとたくましく育てろ」だとか、他人からも、そして夫や両親からもいろいろ言われ落ち込んだものだ。そうじゃない!子供の病気はある意味、運!病気ばかりする子もいればそうでない子もいる。母親のせいなんかじゃない。
 私は3人の子育てで学んだことを生かして、今、子育て支援ボランティアを始めている。昨年の11月に市民活動の1つとして開催した子育てメッセでは、実行委員を務めた。そのメッセで『ママ友つくろう、ほっとカフェ』というスペースを運営した。初めての育児で一人ぼっちのお母さん、心細いお母さん達に無料でお茶を提供し、和んでもらおう、そしてもし何か悩みや、困ったことがあれば、私達ボランティアスタッフが聞きますよ、という企画だ。当日は大盛況で、「赤ちゃんがいると温かい飲み物を温かいうちに飲むなんて出来ないが、ここに来て温かいココアがとても美味しかった」などの言葉を頂き、本当に嬉しかった。一人一人に寄り添って話を聞くというのは十分に出来ず、残念だったが、それはまた次回への反省だ。
 今年は三男も幼稚園に入園し、少し手が離れるので、メッセの実行委員としてだけでなく、市の子育て支援センターで、『子育て支援アドバイザー』として仕事に就きたいと思っている。昨年より、それに向けて少しずつ勉強中で、実際に今アドバイザーとして働いていらっしゃる方の話を聞く機会もある。
 「いろいろな母親が居てね。『死にたい』と言うから話を聞いていると、『あっ、この人死なないな。ただ人に話を聞いて欲しいだけだな』という人もいるし、本当に危なっかしくて、子供の身の安全の為に児童相談所に通報しなくてはならないケースもある。でも支援センターに来てくれる親子はまだマシなの。家に引きこもっている親子が実は一番危ないの。」
 と言う。藤沢市では、そういった親子の為にスタッフを増員し、戸別訪問を広げていくそうだ。
 SEを退職して早12年。年もとったが経験も積んだ。ある意味、会社で働いている以上に社会も見えてきた。「子供は勝手に育たないのだから、親は頑張って育てよう!そして社会はそれを支えよう!」と言う思いを胸に、私の40代は、若いお母さん達のサポートにまわりたい。先日、家の近所で33歳の母親が11階のビルの上から6歳と3歳の息子を投げ落とし、その後自分も投身自殺をするという大変傷ましく悲しい事件が起きた。亡くなっていい命なんてない!この世界が、子供を産み育てることに、やさしさとぬくもり、そして人生の価値を見出せるように手助けしていきたいと思っている。