娘がくれたセカンドチャンス
匿名(40代)
ミニコミ誌編集部に勤務していた私は、初めての妊娠を機に仕事を辞めた。続けたい気持ちはもちろんあったが、受動喫煙が胎児に及ぼす影響を考えた結果だった。
もともと子どもはあまり好きではなかったのだが、わが子を抱いた瞬間から「この子のために生きていこう!」と一気に親ばか路線を突っ走り始めた。そして、子どもが小学校を卒業するまでは娘の母親業を最優先にしよう、娘と一緒にできることをしようと決めたのだ。
子どもと生きる、ということは地域とともに生きることだ。少子、核家族の現代において、地域とかかわらずに子どもを健全に育てることはできない。それまで地域とはかかわらずに生きてきた私の生活は、娘の誕生とともに一変し、地域デビューを果たすことになった。母娘ともに友だちを作ろうと市が主催する育児学級に参加し、サークルを立ち上げる。同じ歳の子を持つ近所の人と家を訪ねあう。今まではなかった地域密着のライフスタイルが始まったのだ。
娘が2歳になってすぐ現在住む新座市に引越しをした。ここでも地域に溶け込もうと広報を見て「にいざ子育てネットワーク」の会員になり、これがまた新しい転機となったのだ。にいざ子育てネットワークは市と協同でさまざまな子育て支援をおこなう団体だ。私も会員として、子育て情報誌の編集や子育てサロン、子育てを支援するイベントなどにボランティアとして携わった。地域デビューに続きボランティアデビューもしてしまったのだ。また、子どもとともに地域で活動する意義、を文部科学省で話す機会にも恵まれた。にいざ子育てネットワークがNPO法人化する際には、会の代表とともに規約を考え、法務局に手続きをしに行くなどの業務もこなした。これらの経験は、娘が成長したら仕事に復帰したいと思い続けていた私にとって、社会との貴重な接点となってくれた。
娘が幼稚園に入園すると、それまでの母子密着生活が一段落し、自分の時間が多少できるようになった。そこで仕事を、という思いも頭をよぎったが、娘が小学生までは母親業優先、の誓いを思い出し、幼稚園の役員に挑戦することにした。幼稚園の役員や小学校のPTA役員というのはなかなか「なり手」がいない。しかし、子どもが幼稚園や小学校にいる間しか経験できない、いわば期間限定のものなのだ。やらないのはもったいない。知り合いが全くいない幼稚園だったにもかかわらず、役員をやったおかげですぐに大勢の友人ができた。講演会を聞きにいったり、頻繁に幼稚園に顔を出したり、楽しい経験ばかりだった。
娘の小学校入学を機にNPO法人にいざ子育てネットワークを退会した。幼稚園での役員経験を活かし、小学校のPTA活動に力を注ごうと思ったのだ。初年度は読み聞かせボランティアを立ち上げ、広報委員長を務めた。そして娘が二年生の時にはPTA会長を務めた。PTA会長は確かに大変な仕事だが、市内各校の校長先生や会長、地域の代表や会長、教育委員会メンバーや教育長などめったに知り合うことのできない方々と直接お会いしたり、お話したりする機会を得ることができ、とても有意義な一年間だった。任期中、娘の通う小学校の児童が不審者に襲われる事件が起こり、地域の方と協力して防犯パトロール体制を作り上げた。子どもは家庭だけでなく、地域にも育ててもらっている、と強く実感したできごとだった。
娘がいなければボランティア活動をおこなうことも、地域と密着した生活を送ることもなかっただろう。子どもと一緒に、最優先してきた十年間は、そのときでなければ経験できないことをやってきた得がたい十年間だった。さまざまな経験や出会いが、私をひとまわりもふたまわりも成長させてくれた。娘がくれたセカンドチャンスは私の糧であり、財産だ。
娘は現在小学校四年生。あと2年で小学校を卒業する。そこからは私のサードチャンスが始まる。セカンドチャンスで得た財産を思う存分活かしていきたい。