40歳主婦の再挑戦

Y・I(40代)

 私は43歳。3年前まではごく平凡な主婦だった。しかし今は「書道の先生」として、自宅で教室を開いている。
 私は大学を卒業後、百貨店に就職。しかし仕事に物足りなさを感じて1年で転職し、その職場で夫と出会い結婚した。2人の子供にも恵まれ数年後には新築マンションも購入。それなりに順調な毎日を送っていた。ところがある年の春、夫の勤めていた会社が解散することになった。幸い次の勤め先はすぐに決まったが収入の方は今まで通りとはいかなくなった。生活全体が節約気味になり、私はパートで働くことを考え始めた。しかし致命的なことに私はパソコンができない。それに入園前の娘を抱えて働けるようなところなど見つかるはずもなかった。
 そんなある日、新聞を見ていると「○○(会社名)書写教室の先生募集」という広告記事が目に入った。「自宅で出来る」「書写」という文字にひきつけられた。
 書写―私は小学校の頃から書道を習い、22歳のときに師範を取得した。しかしその後は書道から遠ざかっていた。この資格を活かせる時が来るなど考えてもみなかった。私は早速、履歴書を持って娘を連れ、説明会に行った。ところが説明会の後には筆記の実技テストが待っていた。心の準備のないままだったが、「昔取った杵柄」はどうにか活かされた。翌週には会社から連絡があり、指導者養成の講習に通うことになった。そして2週間ごとにペン字テキスト200ページをこなしていく、という課題が与えられた。これは思ったよりかなりきつかった。なにより辛かったのは、子供たちを寝かせた後の深夜勉強。睡魔との闘いだった。ミミズのように這いつくばった文字は指導者になろうとする者が書くようなものではなく、翌朝これを見ると情けなくなった。私は深夜の勉強をやめ、早朝勉強に切り替えた。
 そして翌年の春、指導者資格の試験を受けた。努力の甲斐あって合格の知らせをいただいた。家族も皆、喜んでくれた。
 しかしこの後、厳しい現実が待っていた。「自宅で出来る」ことが何より魅力的だったのだが、自宅の近くに同じ書写教室が登録されていることが分かり、開設の距離規定により自宅では出来ない、と会社から言われた。ならば百歩譲って少し離れた場所での開設を考えてみたが、一般の貸スペースは賃料が高くとても採算が合うものではなかった。公共スペースも当たってみたが営利性のあるものは不可と言われ、結局どこも見つからなかった。私は会社に対しこれまでの説明不足を抗議したが解決には至らず書写教室の開設を断念した。今までの努力はすべて無駄に終わった。
 この年、私は娘が入園した幼稚園の父母会から役員の任務を頼まれ、引き受けることになってしまった。この園の役員は仕事が多く、大変なことで有名だ。さらに私は地域の子供会役員をやることも以前から決まっていた。役員の掛け持ち状態になるようなこんな年に教室を始めようなんて、初めから無謀だったのだ。そう思うとすっぱり諦めがついた。
 ところがひょんなことから私が書道教室を開こうとしていたことが園の母親たちの間で話題になり、「真子ちゃんのママなら…」とか、子供会の役員メンバーからも「糸口さんが先生ならば子供を通わせたい」という声がちらほらと上がった。自分に先生としての素質や魅力があるとは思えなかったが、一緒に役員として様々な役割りを果たしていく中で信頼していただけるようになったのかもしれない。「○○書道教室にこだわらず、ご自身のやり方で始めたらいいのに…」という助言で目から鱗が落ちた。私はただ単に、自分でカリキュラムを組むことに自信が持てなかったのだ。そう思うと、本当の壁は自分の中にあったのだと悟った。そして私は次なる行動に出た。
 私が昔、師事していた先生は亡くなっていたのでその先生が所属していた会派の中で、私に師範として手ほどきをしてくれる先生を探そうと思った。そして夫がインターネットでH・S先生の名前を見つけ出した。このH先生との出会いは私の運命を切り開く大切な出会いとなった。初めてH先生を訪ねたときのお言葉は一生忘れることができない。「師範を持っているのだからどんどん教えなさい。教室の開設料を払うお金があったら、いい筆といい墨を買いなさい。人集めのチラシを配る暇があったらどんどん練習して昔の勘を取り戻しなさい」と。私は溢れる涙をこらえきれなかった。そして先生に深い信頼感を感じた。こうして当初の予定通り、2005年の秋に自分の教室を開くことが出来た。
 初めは3人からのスタートだったが、今は週2日、時間で入れ替わってもらう程、生徒が増えた。小学校の書写に対応したり、様々なコンクールに作品を出展したり、全国書写能力検定での級の取得や、小学校新聞への作品投稿など、子供達の励みとなるようなものを取り入れ、一人ひとりの個性を活かした指導を心がけている。
 それにしても驚いたのは、無駄になってしまったと思っていた指導者養成の講習、そこで得た理論が今とても役に立っている、ということだ。そして園や地域で役員を引き受けたことも、自分に子供がいたこともすべてが活かされたということだ。元は家計の足しに…と起こした行動が、今は私のライフワークとなり責任ある立場になった。自分を活かせる場所、それは案外身近なところにあるのかもしれない。新しいことにチャレンジすることは勿論素敵なことだと思うが、その前に自分が持っている「お宝」を発掘してみることもお勧めだ。
 一見無意味に思える役割りや人間関係も、もしかするとその中に自分の人生を切り開く鍵があるかもしれない。常に前向きに物事を受け止める気持ちがあれば、その鍵はいつかどこかできっと見つかるはず。私はそう信じている。