退職・そして再び教職へ

辻口 陽子(50代)

 私は無機質な白い天井を見上げながら、点滴を受けていた。もう何回この点滴室のベッドに横たわったことだろう、そしてあと何回この病院に通えば完治出来るのか、そんなことをとめどなく考えていた。
 北陸の地方都市の小学校教諭として勤めて、20年以上の歳月が流れていた。病気休暇を取って1年以上が経過し私は焦っていた。一体いつ職場復帰出来るのか。暗澹たる思いであった。この焦りが却って回復を遅らせていることもよくわかっていた。私は一体どうなってしまうというのか。
 そんなある日、やはり小学校教諭の実弟の言葉が胸に突き刺さった。
 「姉貴、もういいじゃないか。充分頑張っただろう?教室の子供達の為にも心身が健康であるべきだし、引き際は綺麗な方がいいぞ。」
 私は心を決めた。幼い頃からの夢だった教師を辞する決意をしたのである。教師になってから、24年の歳月が流れていた。
 平成17年7月、私は家庭の事情で、永年生まれ育った土地から首都圏の小都市に転居してきた。「この地で心機一転しよう。」まさにそんな心境であった。膨大にある自由になる時間、初めて経験する専業主婦としての毎日、私は充分満足している筈であった。しかし見知らぬ関東の地で数カ月暮らすうちに、私は次第に考え込む事が多くなってきた。既に私の健康は回復しつつあった。「もう一度働きたい。出来ればもう一度学校現場に戻ってみたい。」転居して初めての冬を迎えようとしていた頃、急速にその思いが膨らんできた。
 私は憑かれたように働く場を探し始めた。しかし近隣の市町村はいずれも条件面で折り合いがつかなかった。正直、フルタイムで働く自信がまだ持てなかった。私は意を決して市の教育委員会に電話で問い合わせてみた。すると、1月初旬の広報で「小学校低学年サポート事業非常勤講師」の募集要項が掲載されるというではないか。小学校1、2年生の学級に入って学級担任の補助、学習遅進児の個別指導などを担当し、勤務時間は一日5時間、年間勤務日数150日、時給は1350円だという。いわゆる、先生のパートタイマーである。これなら自分を追い込む事なく私でもやれるかもしれない、そう思った。「灯台元暗し」とはまさにこのことである。選考は履歴書提出と、30分程の集団面接試験によるものである。
 平成18年2月中旬、私は教育委員会の面接試験を受けた。3月初めに採用通知を受け取り、下旬には勤務校が知らされた。「もう一度働ける。学校に戻る事が出来る。子供達に関わることが出来る。これ以上に嬉しい事が他にあるだろうか。」
 一度は完全に教職を諦めた私には、まるで奇跡のような出来事だった。サポートとはいえまさか自分が再び教職に就けるとは、何という幸運だろうか。やはり私の天職は教師だったのだと思わずにはいられなかった。
 平成18年4月、桜の咲き誇る中、私は「低学年サポート事業非常勤講師」として100名の小学校1年生の前に立った。私は入学したての1年生と同様、緊張感でいっぱいであった。入学式当日から、一日5時間とはいえ目まぐるしい日々がスタートした。喧嘩の仲裁から保健室への付き添いなど、必要と思われることは何でもこなした。入学式から夏休みまでの1学期は、学級作りの基礎の時期である。私は一日も欠勤せずに、学校に通った。そして子供達のちょっとした表情から学習のつまずきを察知し、素早く個別に支援するよう、常に心がけた。子供達のほっとした顔、理解の著しく遅い子供に付きっきりで教えた後の
 「そうだったんか、わかった。ありがとう、陽子先生。」
という言葉、学級担任のねぎらいなどが、常に私を励まし元気を与えてくれた。「ありがとう。」を言わなければならないのは、私の方であった。子供達は何でも迷わず吸収していく。その様はまるで乾いたスポンジか、吸い取り紙のようである。一緒に給食を食べながら私が話して聞かせる他愛のない話題も、実によく覚えていて家庭で話すらしい。何人もの保護者の方々からそれを聞かされた。私の話から子供達は何かを感じ、考えてくれているようだ。幼いとはいえ、かけがえのない一人の大切な人間なのだ、真摯に向き合わなくてはいけない、これからの日本を背負う子供達なのだからと、改めて思う。
 現在、私は幸いな事に、2年続けて同じ小学校で低学年サポートとして勤務している。初めて出会った子供達は2年生に進級し、やがて3年生になる。今でも校内で顔を合わせると嬉しそうに声をかけ、慕ってくれる。その表情には、早くもやや大人びた所も垣間見えてきた。今の1年生も、すっかり小学生らしくなった。子供達が日々成長していく過程を見る事ができるのは、私にとってはこの上ない喜びである。但しこの仕事は1年契約で、毎年面接試験を受けなければならないという負荷付きである。3回目の面接日まで1週間を切った。「セカンドチャンス」の獲得こそが私の自己実現であり、生き甲斐でもある。私は今年も全力を尽くそうと、心に決めている。生き生きと生きていくためにも。