マイナスからのスタート

政田 たづこ(30代)

ステージ マイナス1 2000年 から 2002年
 履歴書を書く。書くたびにため息がでる。なぜなら、すべて過去で今は、小太りの子持ち主婦でしかない現実。胸のうちには「何かを始めねば!外に出たい!」と思いつつ3歳児神話に縛られて子育てに専念していた。

ステージ 0 2003年 1月
 近くに新しく保育園ができるという情報。「今こそ社会復帰せよ。」との天からのお声だと感じたが、晴天のへきれき?! 第2子を妊娠。また専業主婦に戻りたくない一心で出産後もできる仕事探しをした。詐欺かも知れないが 私は妊娠をかくし就職活動をしてやっと一社に内定した。18敗1勝。英会話学校のパート講師だ。時給1400円。無給の研修に通勤時間は1時間半。2ヶ月後妊娠を告白。8月末まで働き、9月に出産後、11月から復帰すると必死で会社を説得した。実働週2日だったが、内定時に知らされていなかった事務やら準備やらただ働きの時間が私をよりやる気にさせた。
 2003年9月
 娘誕生。同性がうまれたことで、人生の先輩としてがんばらねば、とやる気が増した。2ヵ月後、ベビーシッターに週2回娘を預け仕事復帰をしたが、思いっきり足が出た。

ステージ 1
 2004年 1月
 このころ、私は実際の授業の練習として息子に英語を教えていた。そのことをママ友達にいうと、「うちの子にも教えて」といわれた。最初は遊び半分だった。息子に同じマンションの友達を作ってあげたい、と思い始めたものだった。お礼は子供のお菓子だった。このことでお金を得ようはみじんも思わなかった。泣き虫の娘もいるし、自宅でなんて無理無理と思い込んでいた。
 そのうち、一人のママ友達から、「いつもただでは悪いからお金をとってほしい」といわれた。「じゃあワンコインいただこうかな。」と軽い気持ちではじめたものが後々でこんなに大きくなるとは思わなかった。

ステージ 2  2004年5月22日
 ワンコイン英語サークルをスタートさせた。週1回30分。8ヶ月の娘はおんぶしてのスタートだ。背中に汗がにじんだ。生徒は6人。自分にお金を払う人が目の前にいる。私は必死に「教えること」を勉強した。生徒が増えれば増えるほど、500円という安さが売りだと思われたくなかった。内容が勝負なのよ。と自分にいいきかせた。次第に生徒は増えていった。
 サークル内から、「外国人講師に来てほしい」という要求があった。知り合いに外国人はいない。業者を通じて外人講師を雇うほどお金がない。市の国際交流センターでも英語スピーカーにはめぐり合わない。それで私は娘と首都大学にナンパに行った。うそみたいに簡単に留学生の友達ができ、サークルにほぼ無償で遊びに来てくれた。
 近所でリトミック教室が出来た。高い月謝の上に曜日も合わない。じゃ私が始めようと考え音大卒の友達と月1英語でリトミック教室を始めた。
 サークル運営は順調にみえたが、欠点は「夕方のお仕事」だということだった。一番大事な家族が犠牲になる。幼稚園から帰ってくる子供を対象にするからどうしてもレッスンが夕方になる。「そうだ、幼稚園に行っていない子供を集めて午前中にレッスンをすればいいんだ。」と思いついた。それで、地域の子供対象のイベントを毎月行っている近くの保育園に、親子英語教室を開かせてほしい、と申しでた。もちろんボランティアだ。これも投資。と自分にいいきかせ準備は3倍かけた。
 私はいつでも「3倍がえし」とモットーにした。500円のレッスンは1500円の価値のあるものでないといけない。と自分に言い聞かせた。理由などない。思い込みだ。
 近くの保育園での親子英語教室のかいがあって 未園児が2人集まった。30分のボランティア親子英語教室の準備に1時間半。それを3回。でも2人しか集まらなかった。
 「better than nothing」と今度も自分をいいきかせた。
 しかし、今度も友達が友達をよんだ。1年もしないうちに未園児は10人を超えた。

ステージ3への道
 2008年現在。現在生徒は約100人いる。サークル名は「みんなで英語 いつも心に太陽を」だ。息子の名前「大陽」と娘の名前「こころ」からきている。息子は小学生2年生になった。息子の成長に伴い生徒も増えた。娘の友達も参加しておりクラス数も10を越した。
 今年4月、サークルを残したまま、小学生対象の本格的な英会話教室を開いた。
 昨年、小学校での英語講師の資格を取った。オックスフォード大学の英語講師養成講座も終了した。準備を入念にすれば前からどんな大きな困難がやってきても砕ける自信がある。
 やる気に満ち溢れながら、今までを振りかえった。
 嫌な思い出、悲しい出来事は、ネイティブの関西弁で面白おかしく話そう。うれしかったことはみんなに感謝しよう。そう思ってこれからも頑張る!!!