転機
白石 光江(60代)
私は2人の息子を出産した後しばらくして、病院の事務の仕事をしていました。当時、これからは、ずっとこの職業を続けていくのだろうと思っていました。3年程経ったときに3男を妊娠し、仕事を辞めて家庭に入ることになりました。未練も有りましたが、やむをえないことで、私自身結論を出したのです。
夫は教員で、夫の両親は農業でした。同居でしたので、私は子育て、家事、合間を見て農業の手伝いもしていました。養蚕が中心で米麦と3頭の母豚を飼っていました。
3人の子供の面倒をみながら何か仕事をしよう。家を建て替えたい、教育費もかかってくる・・・。農業、だがどんな経営内容にしようかと考えた末、養豚を選びました。
最初、10頭の子豚を購入し、豚舎を建て、両親とは別経営にしました。素人考えで、ただ餌を与えていればいいのだろうと軽く思っていました。毎日接しているうちに徐々に愛情がわき、観察をし、どうしたら良い肉を生産出来るだろうかと、本気で取り組むようになりました。しばらく経って、職業欄にやっと「農業」と書けるようになりました。
「昔の豚肉は美味しかった~。」子供の頃、母がネギと煮てくれた豚肉料理。トロ~ッとしてそれはそれは美味しかったことを、鮮明に覚えています。今の肉とは味が違う。どうしてだろうか。調べてみると、豚には色々な品種があることを知りました。そして肉質の70~80%は品種が左右し、後の20~30%は飼料や管理と聞いています。それには豚の品種を変えなければいけない。夫と相談し、「肉質の良い中ヨークシャー種を導入しよう」と言う事になりました。この品種は昭和30年代までは一般的に多く飼われていましたが、大型種が入ってきてからは激減し、私が取り入れようと思った昭和55年は、すでに絶滅寸前で天然記念物級の幻の豚となっていました。八方手を尽くし、やっと手に入れることができました。
「より美味しく、より安全・安心な豚肉の生産」というロマン。
「中ヨークシャー種の種の保存」という使命感。
この2つを経営の柱として掲げ、信念を持ってやってきました。
肉は中ヨークシャー種と他の品種の組合せたものを生産しています。一般的な大型種は6ヶ月で出荷できますが、私のところでは1,5倍の9ヶ月もかかってしまい非常に経済効率が悪いのです。
飼料には、麦類を入れるなどして味を更に良くしています。また、乳酸菌、ビール酵母、納豆菌などを飼料に混ぜて健康に役立て、肉豚用飼料は、非遺伝子組み換えの物を与えています。
生協への取引が始まり、試食会では「ほんのりと甘みがあり、特に脂身はサッパリしていて美味しい。」「臭みがなく、今まで豚肉は好きではなかったが、これなら食べられる。」「子供たちが、美味しいと言って、取り合って食べてしまう。味が分かるのですね。」など嬉しい言葉が寄せられました。15年間生協とのお付き合いが続きましたが消費者から「白石さんちのお肉がどうしても食べたいのよ。せっかく良い物を生産しているのだから自分で直接販売したらどう。」という声が入るようになりました。でも「生ものだから扱いが難しい」「スライス加工はどうしよう。」「売れ残った分は・・・。」「どの部分をどんな風に分けたらよいのか。」と、何かと理由をつけて自分自身にブレーキをかけてしまいました。
平成8年、多くの人たちに背中を押され、思い切って産直をスタートさせました。
平成11年「幻の肉古代豚」で商標登録をとり、後に、「古代豚」でも取りました。
販売は宅配、ホテル、レストラン、他の飲食関係に使って頂いています。
ネット販売では平成16年7月5日、楽天市場での販売で、デイリーランキング1位となりました。お蔭様で、非常に好評で売上げがのびております。
今は平成16年に定年退職した夫も本格的に経営に参画しています。長男が他の業種からUターンし、「食品衛生管理者」の資格を取り、ハム・ソーセージ等の加工をし、2年前より販売を始めました。嫁も一緒に加工をしております。4人で「家族経営協定」を結び、特に女性の人格を認めそれぞれが大切なパートナーと位置づけています。
テレビ、雑誌、新聞にも多く取り上げられております。
「埼玉県知事賞(埼玉農林業賞)」(2002年11月3日)受賞
「農林水産大臣賞(農山漁村女性チャレンジ活動)」(2005年3月10日)受賞
「ピンチはチャンス!」転機があったからこそ、挑戦できたと思います。