セカンド・チャンス

瀬谷 道子(50代)

 短大を卒業して40年。子ども3人を育てつつ、(長男は小2のとき癌で亡くしました)男性社会中心の職場で働いてきました。
 しかし42歳のとき、プッツンしてしまいました。(どれだけ自分に実力があっても常に男性が管理職につくことから)同世代の女性たちと話すと、そう感じている人があまりに多いことが分かり、じゃ、じゃ、自分たちの目線で自分たちがほしい中身の女性誌を作ろうということになりました。40代、50代向けの雑誌です。
 「よくやるね、すごいねえ」と人はいいますが、とんでもない。厳しい職場にあって、ストレス解消と、自分が主人公になれるものがほしくて、スタートしただけでした。いざ発行してみると、同じような思いをしている同世代(当時40代)がたくさんいたのに驚きました。主婦の人からもたくさん問い合わせがありました。人づてに雑誌が広まり、なんと今年12年目を迎えました。
 自腹切って大量に購入し、どんどん増やしてくれる女性が全国に生まれ、「この人を取材して」との手紙が全国から届くので、ネタにも困りません。
 号を重ねる中で「交流したい」、「たまり場がほしい」との声が出て、ローンを抱えている身も顧みず、中古の一軒家を購入。しかし入れ物を買ったものの中の調度はとても買えません。「金がないから何かちょーだい」と発信したところ、冷蔵庫、スリッパ、ふきん、いす、布団まで、全国の読者から届きました。名前はいいときを過ごそうとの意味で「すてーじ・刻(とき)」とつけ、女性たちの応援舞台としてフルに活用しています。
 4人の子育てを終え、60代で念願の舞台朗読を始めた女性はここを発表の場とし、教室も開くほどに。心の悩みを抱える人たちの集りも定例化。しゃべってもいいし、黙っててもいいという空間です。
 一年間続けた「琵琶語りで楽しむ平家物語」は、読者の脚本がもとです。これも60代で脚本家を目指していた女性の夢をかなえることと、喫茶店でバイトしていた琵琶の演奏家の女性に演奏の場を提供しようととりくんだもの。
 すると、やはりこの世代の読者はすごい。各地で彼女たちを招いてくれ、今や彼女たちはプロとして活躍しています。
 「おしゃれ講座」も、読者の演出家を講師に開催。「初めて自分にかまう」人ばかりで、ただいま自分の美しさを発掘中です。
 それもこれも、仕事をしながら、この世代のネットを広げてきました。そして今、仕事の合間に「女性のための自分史塾」「エッセイ塾」を開いています。
 これを退職後の仕事にしようと思っているのです。自分だけでなく、この世代の女性たちが、生きがいとやりがいの持てる仕事として。フリースペースでの仕事起こしです。
 すでに自分史の本は5冊出版しています。塾は、「これからどう生きるかを探るために書く」ので、部数は10冊~50冊程度。自分を知ってほしい人に渡すという作り方です。安くするために協力してくれる印刷屋さんや製本屋さんを探し、趣旨を訴え、手弁当でやってもらっています。探せばそういう業者もいるということも分かりました。
 塾に参加するのは30代から80代。みんなパソコンと無縁の世界で鉛筆と消しゴムです。書きたくても書けない、そういう人たちこそが自分史を求めているのだと感じます。書く中でみんな変わりました。子どもをどうしても愛せなかった人が、子どもの頃の虐待に向き合い、「子どもが抱けるようになった」と話してくれたときのうれしさは忘れられません。両親が死に、兄弟5人で朝鮮動乱を潜り抜けてきた方、新潟の山奥に暮らし、5歳から働いたという方。
 書くことは胸に突き刺さっていた何かに出会って格闘し、これからの自分を発見することなのだと実感します。
 昨年12月には「すてーじ・刻」にベトナム帰還兵のアレン・ネルソンさんが来ました。戦争で心がぼろぼろになっていく様を実体験で語ってくれ、「声を上げる大切さ」を教えてくれました。
 フリースペースで同世代の女性たちの仕事起こしを目指しつつ、「何かあれば行っていいよね、話してもいいよね」という場を提供、できることを続けたいと思っています。