女性のセカンドチャンス

K・M(50代)

 私が大学卒業後に就職した会社を退職したのは、僅か入社9ケ月後でした。若さゆえ自分の適正を見極めることができなかったのでしょう、憧れのみで就いた広報代理店での激務に耐え切れず、結婚に走ってしまったのです。しかし、そのことには何の後悔も抱いてはいません。家庭では3人の息子に恵まれ、いくつかの仕事のチャンスをつかみ、51歳の今も、仕事に没頭しつつ別の可能性を探して学び、活動し続けるという充実した日々を過ごしています。
 私のセカンドチャンスへの第一歩は三男出産直後、30歳の時でした。折しも世の中はバブルへの道を歩み始めており、そこそこの大学を卒業したという経歴のみで、英語の講師にと、私塾を開く知人より依頼されたのです。6年間の専業主婦生活に焦りを感じ変化を求めていた私は、二つ返事でこれを受けました。この時から、私の中に潜んでいた完壁主義、上昇願望気性が眼を覚まし、その後の私の20年間を席巻していったのです。
 経済学部卒業の私には、1時間の英語の授業を行うために2時間の予習が必要でした。このことを積み重ねていくうちに、学生時代には苦手科目だった英語が楽しくなり、「英語講師」としての確たる裏付けが欲しくなりました。その後、大学の通信教育部に学士入学し、1年半で中高英語第1種教員免許状を取得したのです。日中は家事と子育て、夕方から夜は塾講師、夜中は学生としてレポートに取り組む、3足のわらじを履いての多忙な生活でした。2歳の幼児を連れてのスクーリング、実家の母に留守番を頼んでの教育実習など、今思えば、30代前半の元気さが成せた業かもしれません。
 教員免許取得後は、幸運にも公立高校での非常勤講師の職を得ました。僅か1年の任期でしたが、この肩書きがその後の塾、予備校での仕事に有利な条件を与えてくれたのです。
 教員免許状という目に見える資格、公立高校勤務経験という実績と共に私を助けてくれたのは、「教えることが自分の深い理解、力に繋がる」という認識の基に副業として始めた某通信教育社の添削指導の仕事です。内職扱いの低賃金ではありましたが、答案提出者の間違い、疑問点を徹底的に調べて解かり易く効率的に文章化して伝える、この作業は私に高い英語力を付けてくれました。
 英語講師生活を7年あまり続けた頃に、転居という次のターニングポイントがやってきたのです。世の中はバブルがはじけ景気が悪化し始めており、私自身40代を目前に控え、講師業という毎年契約の立場に不安を覚え始めていた時期でもありました。引越しは1年後、引越し先で独立して教室を持つための準備を始める決心をしたのです。幸いにも自由設計の家を新築することになり、教室スペースを自宅に併設することにしました。
 引越し先は同じ県内とはいえ見知らぬ地、どのような教室ができる可能性があるのか予測もつきません。フランチャイズ式教室の説明会にいくつか参加しましたが、教材販売が目的に思えること、ロイヤルティーが高いことで納得できませんでした。そこで、独自の教室を作るため、いろいろな状況に対応できるよう「教える」ということに役に立つ新たな資格取得準備を始めました。
 中高生対象としては既に教員免許状があります。幼児、小学生対象の英語講師の資格を取得できる英語通信教育社のカリキュラムで自宅学習し、4ヵ月後にその会社独自の資格を得ました。また、未知の分野であった幼児教育を知るために幼稚園教諭資格取得を考えましたが、1ヶ月の実習が必要と分かり断念、代わりに保育士資格取得をめざすことにしました。保育士資格は短大、専門学校で取るのが一般的ですが、私は都道府県ごとに実施している試験でこれを取得したのです。4日間の事前講習を受け、3ケ月後の試験のために必要10科目のテキストを猛勉強するというハードな取り組みでした。同時に、3歳から始めずっと趣味で続けていたピアノレッスンを本格的に再開し、オーディションで講師資格を得ることができました。8ケ月ほどで3種の資格を獲得し、これで幼児から大学受験生までの英語教室、音楽教室、幼児教育教室を開くことができます。
 サードチャンス、引越し直後、英語教室と音楽教室を同時開校しました。資格取得準備と共に、自治体主宰の「起業塾」に通っていたので、手順はだいたい理解できていました。努力には時折運が報いてくれるのか、新天地は偶然にも子供人口が増加中の地域だったのです。思いもかけず音楽教室を望むかたが多く、1年後には音楽教室のみで一本化し、毎年生徒さんが増え続け、12年後の今では70名の生徒さんを抱える大教室へと発展しました。教室は信用が第一、これまでの私の経歴、経験、学習内容が役に立ったのは言うまでもありません。
 2年前より始めた英会話、新たな興味の対象「きもの」の勉強、時間が取れず10年間叶っていない大学、大学院で学ぶという夢、これまで眼を向けてこなかったボランティア活動、懸案事項は山積みです。「気持ちを持つと共に行動する」このことを続ける限り、フォースチャンスはやってくると信じています。
 以上、私の拙い経験が、女性のセカンドチャンス社会の研究に少しでもお役に立てば幸いです。