いつもダメモトで

安藤 孝子(50代)

 現在私は58歳。自宅で医学系出版社から依頼を受け看護辞典の原稿整理と校正の仕事に携わっている。この10年の経過を記したい。
 大学卒業後一年で結婚。その後数年間働き続けたが妊娠を機に退職したのが27歳。子どもを預けてまで働く必要はないというツレアイの断固たる信念と半強制的圧力に屈し、平凡な主婦業を続けていた。第二子が小学校入学と同時に、想像をはるかに越えた空き時間に疲れ果てた。何しろ家事をダラダラやるのは嫌なので毎日自己記録更新を目指し、効率よく家事がこなせるようになっていたからである。
 家でできる仕事ならいいわけで、中高生に英語の個人指導をすることに。一人ひとりに合った教え方を心がけ英語嫌いをなくすことをモットーに続けていくうちに、理解したという生徒の表情がそのまま私自身の成功体験につながった。ほぼ同時期に、ワーカーズコレクティブという新しい働き方を模索する女性グループが通訳・翻訳者を求めていた。そこで翻訳の手伝いをしたり、ボランティアで通訳も引き受けた。また知人を介して出版社の編集者に、原稿整理の仕事をさせてもらえないかをダメモトで交渉した。運よく看護雑誌の書評を一本頼まれた。1200字ほどの原稿に万単位の金額が振り込まれ、天にも昇る思いがした。英語の個人教授、翻訳、原稿整理、主婦の四本立ての生活は目が回るほど忙しかったが、十年の空白は埋まっていった。
 新聞の求人欄に中堅の医学系出版社が校正者を募集していた。応募資格は48歳までの経験者。当時47歳、実務経験はナシ。でもダメモトで筆記試験会場へ。後日、面接に来られたしという速達。後日、合格の知らせが舞い降りた。
 入社までの数ヵ月は校正者の心得を学ぶべく猛勉強。入社後はいきなり看護雑誌を任された。看護辞典を読みあさり、新しい文献にも目を通し、それまで触れたこともなかったパソコンも若い男性社員の手ほどきを受け動かせるようになった。三年間、フルタイムでその出版社でお給料をもらいながら、多くのことを学ばせてもらった。その時の上司が新しく編集事務所を立ち上げたのを追いかけるように、現在はそこで仕事を受注している。
 文字と関わる仕事に就きたいと志望していたにもかかわらず、全ての出版社から門前払いを受けた22歳の私が、58歳で思いもかけないルートで希望をかなえた。人生は捨てたものじゃない。