書く事が私の再チャレンジ
M・K(30代)
私は昨年の七月末、“しずおか大道芸のまちをつくる会”というNPO団体で、ライターをボランティアでしている。
我が街、静岡市では毎年十一月初めに“大道芸ワールドカップin静岡”という、十六年続く大きなイベントが開催され、今では世界各国のパフォーマーが、このイベント参加を目標にするほど、と聞く。それ故か、国立静岡大学には大道芸サークルが数年前に立ち上がり、そこから芸人として巣立っていった者もいる。又、その中の一人が発起してできた、この“しずおか大道芸のまちをつくる会”(以下、通称“しまる会”)とのこんな縁あって、私は現在に至っている。
話は足かけ三年前に遡る。夫の出身した静岡大学農学部に於ける研究室の同窓会でのことだった。ある若者が教授に促され、ボールなどを二、ないし三個以上使い、お手玉のように操るジャグリングをやって見せたのだ。その時の彼は何の仕込みも持たなかったようで、その辺にあったロールパンを器用に扱ったらしい。大道芸好きの夫が、この、だいぶ年下の後輩に
「(秋の)大道芸、出れば?」
と言うと
「今年のに出るんです。」
との返事。研究の傍ら、芸人もしていたのだ。夫は普段は淡々としているが、この時ばかりは違った。帰宅するや
「研究室にすごいのがいた!」
と経緯を聞かされた。と同時に、私自身も興味を持ち、以後、その彼の所属する“しまる会”に入会した。そして、月に一度の会合に、ある時、初めて出席した所、私はすぐに会発行の新聞の書き手を任される運びとなった。
とは言うものの、会合に出席してみての私のその日の印象としては“マンパワーに枯渇した脆弱な組織”というのが偽らざる所であった。
ところで、私は、折しも病気治療中の身で、現在もそれは続いている。
三年前のある日突然、経験したことのない全身症状に襲われ、日常生活に明らかなる支障を感じた。激しい動悸、フラフラして歩けない、水を飲もうとしたら筋肉がこわばってコップが口から離せなかった、等々。何が原因なのか見当もつかないまま、すぐにかかりつけ医院に飛び込んだ。全身を検査して頂き、総合的判断により、精神的なものに起因していると思う、と告げられた。対処的な薬を服用し、暫く経った所でこちらから病名を聞いてみた。それは初めて聞く“不安神経症”なる病気だった。
人格障害は伴わないが、全身にあらゆる不調が出て、ほとんど一日寝たままの日もしばしばだったり、抑うつぎみになる場合もあった。そして、何より困ってしまうのが子供の学校行事やPTAの仕事だった。実際的な事柄をこなせる状況ではとてもなかった。託せる部分は、夫が代わって行ってくれるが、少子化の時代…保護者の数も少ない上に、行事や仕事の量は昔と変わらない分、実質負担増だ。さりとて、私が自分の病気について、おおっぴらにするのも違和感がある。たまに、頑張ってやってみても後からドッと疲労が出て、母として、家庭の主婦として機能しない期間が又、続いてしまうのだ。通院時、不調を挙げ連ねては、医師に何度、
「だからなるべくさぼって、って言ってるのになぁ。」
と言われたかしれない。
そんな、一進一退とも言える病状も、半年、一年と治療を続けていくうちに、外で働くほどではないが、安定さを感じられるように迄なってきた。すると沸沸と
「子供の成長してきた今、何らかの形で社会と関りたい。」という思いが湧いてきたのだ。
それは、ライターを引き受けたのと、タイミングや内容が、自分のイメージしたものと合致していた。病気の発症を境にした、まさに自分への再チャレンジである。役割は、市街地で週末に行なわれる大道芸の様子や、会活動、取り組みを、なるべく色々な視点で紹介していくことだ。
時に“アイデンティティ”という言葉が世の中に浸透するようになって久しい。“正体”や“自己実現”とかいうニュアンスで認識されることが多いように思うが、実際“自己実現”などという言葉を用いると少し構えてしまわないだろうか。
「どうせ私には自己実現のタネが無いの。」
という嘆きが聞こえてきそうである。でも私はそうは思わない。案外、それは自分の生活のそこら辺に転がっているような気がするのだ。勿論、何かの高い能力がある場合は上へ上へと向上心を内に持つ事、持てる事は素晴らしい。が、どんな女性にも自己実現の素養はあるはずなのだ。何も難しい事ではない。その鍵は“やってスッキリ”かどうかにあると思う。それをすると心が晴れる、スッキリする…つまりこれがその人の正体なのだ。
私は努めてさぼれる所をさぼりながら、まだ脆弱さを感じさせる組織の盛り立て役の一助となるべくライターをし、メディア等への投寄稿に集中する時間をもってスッキリしている。加えて、それらの評判が良かったり、採用されれば至上の喜びである。
だから、どんな人にも再チャレンジの機会はあると実感している。与えられた状況、それが限られたものだとしてもその中で自分を発揮できるものがある。私はそう信じたいし、これからも“やってスッキリ”にトライしていきたい。