ひだまりのたねまき

Y・Y(40代)

 「つぎはなんのうたかなぁ。」「今度は布を使ったうただよ。」小さい子どもたちとおかあさん、おとうさんの笑顔に囲まれて、図書館での「わらべうたのじかん」のボランティアをしている私がいる。
 「三年生には、もうちょっとゆっくりはっきり読んであげる方がいいよ。」ブックトークを練習する小学生にアドバイスをした、小学校の図書ボランティアをしている私もいる。
 私は小3、中2のやんちゃな息子たちを育てている、専業主婦である。独身時代、会社勤めをしながらバンドを楽しんでいた私は、子どもとの遊びも歌ったり、楽器を弾いたりと音楽は欠かせなかった。絵本の魅力にもはまり、読んであげるのも今も楽しいひとときだ。私の育児は読み聞かせ、歌聞かせ、外遊びだ。
 次男が幼稚園児だった頃、長男が通う小学校で図書ボランティアが設立され、募集があったので応募した。図書室担当の先生(担任クラスあり)と図書補助員のもと、季節ごとの壁面飾り、本の整理・修理、蔵書点検、紙芝居やパネルシアターの製作・発表、大型本の貸し出し用バッグの製作、夏休みの開館時の催し、五日市の歴史や自然や産業を子ども向けにわかりやすくまとめた「ぐりぐら通信」の毎月一回の発行など、充実した活動をおこなっている。冒頭のブックトークのアドバイスという、授業中の責任ある仕事も依頼されるようになった。私は英文科卒だが、大学では図書館司書の資格を取得しており、母親になってからこのような形で現場で図書の仕事ができるとは思ってもみなかった。小学校の図書室はいつもあたたかい雰囲気で、子どもたちにとって足を運びやすい環境となった。もちろん本好きの子どもたちが増えた。また私たちの活動によって、補助員も本来の図書の授業に専念できるようになり、保護者として子どもたちの「としょのじかん」が充実していることは嬉しい限りである。
 次男が小学生になった時、電車で四駅の所にある市内の図書館で、「わらべうたのじかん」のボランティア募集があり、音楽好きの私は迷わず応募した。講習を受け、0歳から未就園児の子どもたち、おかあさん、おとうさんと楽しく歌って遊んでいる。月一回三十分間で十曲ほど遊び、多い時には四十組もの親子が参加してくれている。私が住む地区の図書館では、当時「わらべうたのじかん」がなかったので、お願いして年四回任せていただけるようにもなった。私自身、以前わらべうたのサークルに息子と参加させていただき、わらべうたは新鮮でかつ音楽の原点であったことを気づかせてくれた。子どもにとって心地良く伝わる自然の調べだった。季節に合った唄を選び、プログラムを考えるのもとても楽しく、まるで若い頃バンドのライブのプログラムを考えていた時と同じわくわくさを感じる。子どもたちが毎回来てくれて、唄を覚えてくれるのがとても嬉しいし、散歩をしたり、泣いたり、眠い時にはぜひおかあさんに歌ってほしいと、わらべうたを通して子育ての楽しさを伝えたい。そして親子各々この会で、友だちを作ってほしいと願っている。
 二つのボランティアがとても楽しくて、その楽しさがむしろボランティアという行為が押しつけがましくないか、自己満足ではないか、と悩むことにもなった。そんな時、学校図書の交流会で友人が、「ボランティアをしていて、子どもたちが自分たちは愛されているんだ、大切に思ってくれる人たちがいるんだ、と思っていることを私たちは確信している。」と発表した。その言葉によって私は、これでいいんだな、とボランティアを続けることができている。たくさん場数を踏んで、大勢の子どもたち、親御さんたちに育ててもらった。常に講習会にも参加し、自分を磨く努力もする。そして何よりもボランティアを続けるには、仲間と協調し信頼し合っていくことだ。また家族が犠牲になってもいけないので無理はできない。できる範囲がちょうど良いのだ。
 自分が息子たちと遊んできたこと、うたをうたったら育児ももっと楽しいよ、スキンシップしたら子どもは喜ぶよ、本は面白いよ、と子供たちにあたたかい居場所を作るお手伝いがしたくて、今月もボランティアの日を楽しみにしている。子供たちが人にやさしくしてもらって、いつかは人にやさしくしてあげて、そんなささやかだけど一番大切なことのたねを、私の大好きな場所、図書館でまいていきたい。母親たちに、市民にボランティアの場を提供してくださった五日市小学校の校長先生、あきる野市図書館々長、活動を理解して頂いている諸先生方、職員の方々に感謝の気持ちで一杯である。独身時代歩んできた道は切り貼りしたようなばらばらの軌跡だったが、どれ一つと無駄な道はなく、気がつくと現在につながっていた。それを知らずにただその時を一生懸命歩んできた過去の私と、今を共に歩んでくれるみんなに、「ありがとう。」と言える私がここにいる。