セカンド・チャンス
M・M(40代)
私にとっての「セカンド.チャンス」とは、今回の趣旨とは、少し違うかもしれない。私が思う「セカンド・チャンス」とは、頑張って成功した単なるサクセスストーリーではない。平々凡々と生活していた人が、あるきっかけで奮起し行動を起こすこと。要するに、「成功」するまでのプロセスも気持ちのうえで大切な大切な「セカンド・チャンス」だと捉えている。
今まで、幾度か女性企業家や、一流企業の女性社員、政治家の講演会を聞いたことがある。どなたも、すばらしく努力をされ「成功」を勝ち得たお話だったが、なぜか、あまり共感できなかった。それは、あまりにも私とは周りの環境が違いすぎる。
単身であったり、夫婦お二人だったり、子供がいても面倒を見てくれる人が周りにいたり、夫や、子供、両親がよき理解者だったり、勤め先の福利厚生が整っていたり・・・。
人は、それぞれ生活している環境が違う。
サクセスストーリーを語る方たちは、もちろん血のにじむような努力をされ、周りの環境や強運に巡り会えたこともあり、お話されているのだと感じる。どうしても、別の世界のお話で「すごい!すばらしい!」でも、私には努力しても彼女たちのような恵まれた環境ではないので無理。講演を聞いた後は、いつもこんな感想だった。
私は、昭和38年に生まれて、ごく普通のサラリーマンの家庭に育った。小学校のころに父が会社を起こしたが、失敗。共同経営者が自殺し、借金は父がすべて背負うことになった。一番苦労したのは、陰日なたになり父や私たちを支えてくれた母である。
そんな状況で経済的には苦しかったが両親に無理を言って、地元の短大に行かせてもらい、地元の電力会社に就職した。当時の女性の仕事はあくまでも、男性社員の補佐業務。24才の時、結婚し子供を2人もうけたが、私の母と同居していたので、会社を辞めることなく現在に至っている。
20代後半頃からだろうか、「どうして女性は仕事を任せてもらえないのか?」と育児と仕事で悩む時期があった。その時にある雑誌に「何もかも欲張ってはダメ。今の環境でできる勉強をしなさい。いつか仕事に集中できるときがきたら必ず役に立ちます。」と書いてあった。「これだ!」とその言葉に共感し、子供が寝た時間や睡眠時間を1時間だけ短くし、ある年には、5つの資格を取得した。しかし、同じ資格を取っても社内報には、合格した男性の記事しか掲載されなかった。
職場でも、「これはこうしたほうが効率が良いし効果もあるのに・・・」と思っていても、意見を言えるような環境ではなかったし、自分自身もそんな勇気も自信もなかった。そして40代を迎え、このままでよいのだろうか。このまま人生が終わってしまったら、私の人生はなんだったんだろう。」と思い、「変わろう」自分の中の殻を破りもう一度、何かに挑戦してみよう。手初めに今の生活環境の中でできること。通信教育でもう一度、学生時代に学んだ「食物栄養」について学ぼうと思った。
しかし、時間もお金もかかるのでおいそれとは始められないし、途中で投げ出すこともできない。まずは、家族の理解を、と思い話し合った。母と姉は驚いて「子供が受験を控えているのにどうなの。それにそんな年して恥ずかしいよ」と反対だった。夫と子供たちは「家事を手抜きしなければいいよ。お母さんが、女子大生ってちょっとかっこいいかも」と一応賛成してくれた。
そして私の思う「セカンド・チャンス」。スクーリングで出会う人達の、真剣さやモチベーションの高さ、自分の意見をしっかり持つことの大切さ、集中力に圧倒され、励まされ刺激を受けた。また、すばらしい先生方にも出会うことができた。決して華美ではないが何か人をひきつける魅力。ひとたび講義が始まると、とうとうと知識が溢れ、それでいていつまでもかわいらしい女性。「自分の思ったことは人に伝えなさい。一度で耳を傾けてもらえなければ、何度も何度も伝えなさい。」と教えていただいた。それは、あたりまえのことかもしれないが、今までの私にはその勇気も自信もなかった。今では、これらのことを家庭や職場で実行している。不思議と少しずつではあるが、一生懸命伝えたことが小さなカタチとなって行く。そして、初めて感じるその快感。
今は、まだ大きなカタチとなった「セカンド・チャンス」ではないが、自分の中では、通信教育をはじめて勇気と自信を持つことができ、これからの「サード・チャンス」に向かって現在も邁進中である。