セカンド・チャンス・・・私の場合

サッポロ・K(50代)

 私の場合は、『やりたことが再びみつかった』というよりも、続けていたかった仕事を諸状況によって辞め、その後、主婦として家庭の切り盛りと子育て(3人)という日々を送っていたのですが、仕事を辞めてから11年後あるチャンスをきっかけにして職場復帰(同じ職種)をしたという事例です。

 ・諸状況
 結婚式が4月1日でした。その数日後、夫の転勤が決まりました。
その時、私は札幌市内の公立小学校の教員をしていましたし、夫は大学に勤務したばかりでした。彼の転勤先は釧路。任期は、その時点では不明。
当時の研究室では教授が転勤先を決めておりましたので、家庭の事情を考慮していただくということはできないと思っておりました。実際、そのような例(家庭の事情で転勤先を考慮してもらう)はないようでした。「教授の声は天の声」と若くて経験不足の私たちには思い込んでおりました。結婚式のお仲人さんは、転勤を決めた教授でした。
 その時点で、長男を授かっていました。妊娠が丁度分かった頃です。
 別居生活が始まりました。私は北海道には身寄りがいません(北海道に嫁いできて2年目の春から別居生活開始)し、当時、職場でも気持ちを打ち明けられるような友だちはいませんでしたので心細い毎日でした。妊娠期間中、一人でアパートに住み仕事を続けていました。
生まれてきた子供の顔をみると、父親と離れて暮らすことは子供にとってよくないと思い、育児休業期間中に、仕事をやめることに決めました。育児休業期間を可能な限り長くとって復帰ということも考えましたが、夫の任期が分からないので辞めることにして、息子と私は釧路に行き3人で暮らす事になりました。その後、12回ほど転勤に伴う転居がありましたので結果的には辞めたのは正解でした。

 きっかけ
 長男の学級代表委員(PTA活動)をしていた時、受け持ちの先生が代替教員であった。学級活動について話をしていた時に「私も教員をしていた。将来、機会があれば、またやりたい」旨をおしゃべりのノリで話していた。その先生が覚えていてくださり、約2年後にお話を持ってきてくださった。それがきっかけです。

 職種(内容)
 小学校の代替教員。
 学級担任が出産・育児などで休業する場合、病気や怪我で休業する場合、介護休暇をとる場合、代わりに学級を担任し、学校運営に関る仕事(校務分庶)も同時に担う。総務の代わりに仕事をする場合もある。どちらの場合も、採用期間はまちまちである。仕事がない時もある。自宅待機で教育委員会から、仕事が入るのを待つ。

 実現した条件
 ・強い動機(自己中心的な)があった。

 どうしても、もう一度黒板の前に立ちたい。中途半端におきざりにしてきた自分の仕事にもう一度関りたい。このままでは死ねない、とりかえしたい(笑)という強い思いがあった。同時に、家庭の中での圧迫感と偏った考え方でしか物事をとらえる事ができなくなっている自分が(もともと我が強くて我儘な自分が助長されていくような感覚)子供を育てていっても大丈夫なのだろうかという追い詰められた気持ちがあり、外で働きたいという気持ちになっていた。それに、自分で働いたお金が欲しかった。夫が仕事を懸命にしているのをみていると私だってしたかったのに、なぜ私が職業を諦めて、家庭のことばかりしなくちゃいけないのという嫉妬心もバネに。

②家族の理解と応援と協力。????
 当時、長男6年生・長女4年生・次男1年生であった。夫は中間管理職の立場で仕事命の日々。核家族で、頼れる実家や家庭のことまで頼りにできる友も居ず。それでも、条件が整ってから働きましょう…家族の理解が得られた時点で働き始めましょう…という発想はなく、齎されたきっかけに飛びつきました。
 家族の理解もなにもあったものではありません。ある日突如、母さんは働きに出ていました…と…すごく強引になんの準備もなく。とても自分勝手なスタートでした。
 家族の理解…というより、家族にとっては「訳がわかりません」という感じでしょうか。前の日まで「いってらっしゃい」と言って見送っていた母親が「いってきます」と先にいなくなるのですから。それでも、なんの不平も言わずに夫も子供たちも応援してくれました。
 家族には、心から感謝しています。仕事の方は、最初は短い期間から始めて少しずつ長くしていきました。

③家にきて家事の手伝いをしてくれる方がいた。
 だんだんと雇用期間が長くなってきました。子供たちが病気の時はとても困りました。ひとりで寝かせていかなくてはいけませんし、家事も負担になってきました。なんとか家庭と仕事を続けていきたいと思った私は以前に『ある趣味のクラブで知り合いになったNさん』に事情を話して、子供たちの面倒をみて家事を手伝ってもらえないかとお願いをしました。「はたらきたい」という思いを応援したいと言ってくださり快く引き受けてくださいました。子供たちの放課後の生活・家事・夕食作りをやっていただきました。この方がいらした御蔭で働き続けることができました。

④健康に恵まれていた。
 私が元気な身体を授かっていた。中学・高校の保健体育の教員免許を持っています。若い時から身体を動かすのが大好きで体力がありました。やはり健康でなければ続きません。