セカンドチャンスについて

板垣 友子 (50代)

 人生はチャンスに満ち溢れている。アンテナを高く張れ、とはよく言われるが、チャンスは足元にもある。そして、セカンドだけでなく、三度も四度も、何度もチャンスはやってくるものだと、50歳になってようやく分かった。チャンスをつかむには足下も見て、心をオープンにしていることが大切だと、体験から思う。
 往々にして、チャンスがきた時にはそうとは気づかないものだ。ひそやかにやってくるし、チャンスにはどうしても見えず、不幸にしか見えない場合もある。「私には無理」「できない」「無責任には引き受けられない」「大変そうだ」……ネガティブな考えは誰にでも浮かぶ。でも、「できなければあやまればいい」「辞めればいい」そして「周りの人に助けてもらえばいい」などの撤退のストラテジーもまた、万人向けに用意されているのだ。
 だから、「イヤ」「できない」と即断しないほうがいいと思う。他人が頼んできたということは、自分に何らかの価値を見いだしてくれたということだと思いたい。よく考え、周りの人の話も聞いて、自分の中で少しでも迷いがあるようなら、とにかく足を踏み出してみる。
 「セカンドチャンス」をゲットしたら、セカンドステージに上り、活躍するわけだが、その後も次々にチャンスは重層的に目の前に現れる。その都度、できれば一度はステージに上がってみる。ダメならステージを降りるだけだ。

 私は40歳目前に友だちに誘われて、市の水泳教室に入った。友人が1人では入れないというので、しぶしぶお伴したのだ。特に水泳が好きになったわけではないが、健康にいいから、と何となく辞めずに何年か通ったある日、「高齢者の教室ができるから教えてみない?」と声をかけられた。「へ夕ですから」と固辞したものの、ほかに人がいないからと頼みこまれて、他の人が見つかるまでと、これまたしぶしぶ引き受けた。以来、6年間水泳教室の仕事を続けている。泳ぐのは相変わらずヘタだけれど、水がこわかった人が泳げるようになった時の笑顔を見るのが楽しくて続けている。最初は「とんでもない」と思ったけれど、今では頼まれたことに縁を感じている。
 そして子どもが中学生になったら、今度はPTA活動に誘われた。尊敬する年上の友人に頼まれ断りきれず参加したら、引き受け手のないPTA会長までやるはめになった。どうしてもいやだったが、泣く泣く引き受けた。教員採用試験の面接官、さまざまな委員会、教育委員会との会議など、年間のべ百回以上の出番があり、お世辞にも楽とはいえない1年間だったが、教育現場を見ることができ貴重な経験となった。友人に「PTA会長はどんなにやりたくても、頼まれなければできないものよ」と言われた言葉が心に残っている。今では説得してくれた友人に感謝している。
 そんなふうにチャンスが波状攻撃で私を襲い、乗り気でもないがステージに上がり.結局、重層になっているそれぞれのステージの上での活動によって、友人が増え、知り合いも増え、経験値も増し、充実した時間がすごせていると思う。
 
 日本女子大でのんびり東洋史の勉強をしていたころ、私はそんなドメスティックに生きている自分をまるで想像していなかった。キャリアウーマンという言葉がまだ口にされていなかったころではあったが、自分の中には、「仕事に生きたい」という確固たる思い、いや、あこがれがあった。学部の4年生だった1978年当時、女子大生は大変な就職難だったため、仕方なく教職課程をとり、教員試験を受けた。結果は臨時採用だったので、企業への就職活動を続けた。当時、ある大手商社の筆記試験では20名ほどの募集に千人を超える受験者がいたし、教員の採用試験も2、30倍の倍率だった。優秀な学生ではなかった私に世間の風は冷たく、就職戦線では後退を強いられた。入社試験に落ち続けた結果、法律事務所に就職して教員試験に再チャレンジしようと決めたのは卒業直前だった。
 何年間かは教員試験のことも忘れて気楽なOL生活を送ったが、友だちに誘われて中国語の講座に夜通い出したのもチャンスの始まりだった。中国語の勉強は予想外に楽しく、2年後先生に勧められて北京に留学、5年後には香港で就職した。中国語を駆使して大きな世界でキャリアを築く予定だったが、予想外に妊娠し3年目に帰国、結局夫と子どもの三人家族のママにおさまったのである。
 のんびり子育てをしながら、たまに翻訳や編集の仕事をしていたが、子どもが小学校3年生の時、新しく創刊される中国語学習月刊誌の編集の仕事に誘われ、フリーランスの編集者として正式に仕事を再開した。以来8年間、忙しく締め切りに追われながら仕事を続けている。そして、子どもが高校生になった昨春、念願の修士課程に入学し、中国語教育の研究を始めた。今振り返ると、自分から積極的にステージに上がったのは、香港への就職と大学院入試だけだったかもしれない。ほかは誰かに声をかけられてなんとなく始めたことばかりだった。
 仕事の世界が社会のA面だとしたら、地域や家庭の生活はB面だと思う。どちらがいいとか偉いとかいうのではなく、表裏一体、どちらも必要な生活である。セカンドチャンスというと、A面、金銭面に気をとられがちになりそうだ。しかし、B面にもさまざまなチャンスが待っている。金銭だけにとらわれることがなければ、A面にはないB面の深い味わいもわかる。人生はA面だけでも、B面だけでももったいない。どんな場面でも自分で思っている以上の力を周囲の人が見抜いてくれたら、それはチャンス。一歩前に足を踏み出してみることを後輩には勧めたい。