49歳の挑戦
A・C(40代)
「むだな努力はしたくない。」
という、予備校の広告を見たことがある。その時私は、
「私の人生、むだな努力だらけだな。」と思い、腹をかかえて笑った。
私は、大学時代、ガールスカウトのリーダーや地域の子ども会の世話をした。子どもたちはすなおでかわいかった。
(こんなかわいい子どもたちと、もっと一緒にいたい。)
私は、小学校の教員を志した。しかし、私が在籍していたのは文学部英文学専攻。小学校教諭の免許は取れない。私は、文部省(当時)が行う「小学校教員資格認定試験」があることを知り、猛勉強の末合格。大学卒業と同時に小学校の教員になった。
「資格認定試験」で免許を得たので、教育実習はしていない。それでも、「先輩教員や毎日の授業から、教育技術を学び、よい教員になろう。」という意欲にあふれていた。
私の赴任先は僻地で、担任する児童は四名。そのうち二人は障害を持った児童で、一斉指導は成り立たなかった。指導法を勉強したくても書店も図書館もない。交通が不便なため教員の研究団体にも参加できない。
私は、自分の教員としての無力さを自覚していた。児童が四十人いる学級を担任すれば、いやでも身につくであろう集団を統率する能力も、知的な授業で児童を惹きつける技術もないのだから。担任した四人を卒業させた私は、退職し、他県に住む人と結婚した。
結婚し三人の子供に恵まれた私は、「台所の窓から北京が見える」(長澤信子著)という本を読んだ。筆者は、子どもの小学校入学後に、中国語の学習をはじめ、通訳として活躍しているそうだ。この人にできたことなら、私にもできるのではないか。私も再び英語を学び、通訳になろう。
私には、学校に通うような経済的、時間的なゆとりはなかった。三人の子どもを育てながら、英語に触れるチャンスは作れないか。私は、新聞で、高校生の答案添削者募集の広告を見つけた。この仕事なら、自宅で、子どもが寝た後することができる。私は、答案添削の仕事にうちこんだ。
また私は、「通訳ガイド」の試験にも合格した。この資格があれば、通訳として働くことができる。
答案添削の内職で、幾ばくかの資金を得た私は、末子の保育園入園後、勇んで通訳学校へ入学した。しかし、実務の壁は厚かった。私は今まで、CD教材やラジオ講座で英語を学んだにすぎなかった。標準的な英語、アナウンサーの英語しか聞いたことがなかったのだ。通訳学校の授業にはついていけなかった。授業のあとは、毎回頭痛がし、帰宅すると寝込んだ。自分が井の中の蛙にすぎなかったことがよくわかった。今までの自分の努力は何だったのだろうと思った。
仕事も見つからず、通信添削の内職を続けていたころ、予備校講師募集の新聞広告を見つけた。教員志望者に「教員採用試験対策」を教える仕事だ。「教員資格認定試験」にも「採用試験」にも合格した経験のある私である。教えることくらいできるだろうと思って応募し、首尾よく採用された。
しかし、この仕事は、予想以上に大変だった。予備校に入学するような人は、よく勉強していて、難しい質問をどんどんしてくる。私は、図書館やインターネットで資料を探し、必死で授業の準備をした。
予備校の生徒たちは、休み時間になると、目を輝かせながら教職についての夢を語った。生徒たちと話すうちに、私も、もう一度公立学校で教えたいと思うようになった。
運良く、自宅から近い小学校の非常勤講師に採用された。再び小学校の教壇に立つことができたが、私はここで大きな壁にぶつかった。確かに私は小学校教諭の免許を持ち、小学校勤務の経験もある。しかし、数十人の児童を教えた経験はないのだ。また、20代の私にとって若さが大きな武器だったのだということも痛感した。若さを失い教育技術も身につけてこなかった私は、児童にとってなんの魅力もない存在であった。
私は、高校で教えられたらと思い始めた。英語は私の専門。通訳の資格まで得ている。高校で働きたいという希望を、毎年教育委員会に出したが、かなえられなかった。
私は講師として、毎年異なる小学校に派遣された。経験のない私が児童の信頼を得るには、わかりやすい、楽しい授業をするしかない。必死で教材研究をした。勤務校は毎年変わり、教える教科も毎年変わる。家庭科、理科、音楽、書写、図工…。命じられたことは何でもやった。
ところが、私を認めてくださる方が現れた。勤務校の校長先生だ。教員採用試験の受験を薦められた。
「とっくに年齢制限を越えてます」と答える私に、団塊の世代の大量退職で、年齢制限が撤廃されていることを教えてくれた。私は高校教員の採用試験を受けた。そして、自宅近くの高等学校に4月から教諭として勤務できることになった。「通訳ガイド」の資格を得ていること、長年通信添削の仕事をしてきたことも、採用の時には役に立った。「むだな努力」ではなかったのだ。
現在は、4月からの新しい職場で、責任を精一杯果たそうと思っている。