チャレンジしよう

匿名(40代)

 子供の頃、将来の夢はお嫁さんになる事でした。就職してキャリアを積む等、全く思いもよりませんでした。高校では、将来何を学びたいのか、何になりたいのか、分からないし考えてもいませんでした。家庭の経済事情もあり入学時から、大学進学をあきらめていました。しかし、心のどこかでは、いつかどこかの大学に行き勉強をしようと思っていました。高校卒業後、モーターの代理店で事務の仕事をし、花嫁修業にお茶とお花を習っていました。
 24歳で結婚、26歳で出産と平凡に暮らし、二人目の子供が生まれた頃、実父が体調を崩し寝たきりになりました。初めて介護を経験しました。その後、姑、舅と次々に倒れ寝たきりになり、毎日が介護の日々になりました。姑の介護をしている時に、市役所でホームヘルプサービスを教えて頂き、利用しました。それまでヘルパーを年寄りの家政婦ぐらいにしか考えていなかった私でしたが、担当のヘルパーが若く、介護福祉士を目指している勉強家でした。明るく、笑顔で嫌な顔もせず、てきぱきと介護する姿を見て、とても感銘を受けました。
 他人の介護をする、自分に出来るのだろうか。答えはすぐに出ませんでした。しかし、3人を順次看取る中で、介護に対する気持ちに何も変わりない事に気が付きました。しだいに資格を取り、福祉の仕事に就きたいと思うようになりました。ヘルパー3級をとり、社会福祉協議会でアルバイトのヘルパーをしました。働きながら、ヘルパー2級をとり、パートヘルパーになりました。福祉の世界は、学ぶ事がたくさんあります。医療、家政、福祉制度数え上げたらきりがありません。学ぶ事が良いケアにつながります。
 ヘルパー業務に慣れ、身内の介護から解放され、これから少しずつ子供との生活を楽しもうと思っていた矢先、思いがけず主人が発病しました。手がうまく動かないので、腱鞘炎と思って受診したところ、筋萎縮性側索硬化症とわかりました。日々、筋力が衰え、動けなくなる主人と、大阪、三重、名古屋いろいろな病院を受診し、何冊も医学書を読みましたが、残酷にも治療方法はありませんでした。私は、病気を受け入れ、理解する事が出来ませんでした。
 その頃、日本福祉大学がインターネットで通信教育学部を開校し、一期生を募集している事を知りました。インターネット、パソコンと全く無縁の私でしたが、病気が進行し24時間365日介護が必要な主人との生活に不安を感じている私を見て、主人が「君が勉強している姿を見るのがとても好きだ。入学したら。」と勧めてくれました。42歳の時でした。

 スクーリング、実習、日々の勉強をいつまで続ける事が出来るのかわからないけど、福祉を学びたいという強い気持ちがあり入学しました。もちろんヘルパーの仕事は続けていました。
 24時間必要な時いつでも、ヘルパーサービスが利用できればどんなに助かる事か。主人の介護を今後どうしたらよいのか一人悩んでいました。
 しかし発病後、1年半で主人は延命拒否をして亡くなりました。「やり残した事はない。ただ少し早く消えるだけ。」大学1年生の冬でした。試験勉強を泣きながらしました。大学で学びながら、ヘルパーの実務経験が3年過ぎた所で、介護福祉士国家試験を受験。卒業の年、介護支援専門員試験と社会福祉士国家試験を同時に受験しました。夏休みには、大学の就職情報から新卒の相談員募集に応募し、現在の社会福祉法人に採用されました。
 初出勤日、専務理事よりヘルパーステーションの立ち上げを頼まれました。
 5年6ヶ月パートヘルパーとして、働いていた経歴と介護福祉士資格をかわれての事でした。何も分からない状態でしたが、自分も欲しかった24時間、年中無休のヘルパー事業所を作って地域の人の役に立ちたいと思い、その場でお受けしました。サービス提供責任者として、一から始めました。会社の印鑑も書類も何もありません。パソコンのエクセル、ワードすら知らない私でした。手書きでの書類作りから始め、2名のパートヘルパーを配置して、3人でスタートしました。利用者獲得の為、営業活動もしました。自動車もなく、歩いて行ける所からサービスを始めました。入社した年に、介護支援専門員と社会福祉士国家資格に合格しました。名刺に資格を書く事ができ、事業所に重みが出たように感じられました。
 日々経験をつむ事で、介護保険制度を肌で感じ、本で学ぶよりもっと深く知る事が出来ました。パートヘルパーでは分からなかった事、自分の中に以前にもまして責任感が生まれました。転勤になる2年6ヶ月までに、サービス提供責任者2名、ヘルパー10名、年中無休、8時から18時の事業所に成長しました。
 現在は、グループホームの介護支援専門員です。今年の秋を目標に新しいグループホームが新設されます。また、立ち上げを任されました。地域に根ざした温かいホームが出来たらと考えています。若い人がこれからの福祉を担っていけるよう、すばらしい職場を作りたいと考えています。資格がなかったら、ただのおばさんでした。大学に入学し、国家資格を得た事が自分の自信になり、飛躍に結びついたと思います。福祉は、天職です。これからも学び続けていきます。