私の選んできた道

匿名(40代)

 私にとって「セカンドチャンス」とは、2度目ではなく、2度のチャンスがあったということです。
 一度目は、周囲には公務員が多く、私にも望む環境の田舎に育ち、教育大を選んだ私には当然の「教員への道」。
 幼い頃、まがいなりにも夢を描いた職業の中に、唯一仕事として成立しているのかがわからなかったものがありました。それが「病院に入院している子どもの先生」です。
 大学に入り、どうやらそういった子供達のための学校があるということは分かりました。今のようにいろいろな職業があるということすら分からなかった時代・環境でしたので、こんなのんきな大学生でした。
 そのために一応体のことを学び、免許も取ることを考え、授業や実習を組みました。
 さていよいよ卒業が間近となり、試験などを受ける季節がやってくる。なのに私は全く自信がありませんでした。こんな中途半端な人間なのに、子どもの前に立っていいのだろうか、教えていいのだろうか。
 当然こんな気持ちでは試験に身が入るはずもなく、行き先のない自分に益々自信をなくし、卒業を迎えました。
 当時は当然教員免許を活かす「講師」をするべく手続きをする人がほとんどでした。それなのに私が受けたのは、スポーツクラブの受付の面接や喫茶店のバイト募集。
 学生時代も子どもと関わるバイトしか経験したことのない私に、本当に一から教えてくださった多くの方々。やはり私は人と関わることが好きなのだと、あらためて分かったのもその二つの職場でした。
 そんなことを感じ始めた夏の終わり、登録もしていない私を探してまで来た「講師」の話。
 自分に相変わらず自信は持てないけれど、子どもとぶつかってみる気持ちになっていました。きっとこれは私に与えられた「チャンス」なのだと。
 二度目は、昨年春に退職をした「主婦への道」です。
 結婚をし、二人の子も手がかからなくなりました。ようやく、生徒に寄り添うことや伝えるすべを獲得し始め、共に何かを作り上げる喜びや、上達を目指すこと、苦手を克服することの過程が、教師としての私の喜びと受け止められる余裕が生まれてきました。
 その一方で、子供達を取り囲む様々な環境に対応するのは、家庭と学校と地域の大人の目であることも、日に日に強く感じるようになりました。各家庭には、「手がかからなくてもしっかりと心の目で見て欲しい」と言っている自分。果たして自分は家庭人として実行できているのだろうか。「お母さんがゆったりとした気持ちになることが大事」私はゆったりとしている暇などないのでは…。
 私の住む県では、珍しい「特約退職制度」というものがあります。一時仕事を辞めても、期限内であればまた復帰が保証されています。子どもが小さく病気がちだったときにも、放課後過ごす場所に行きたくないと泣かれたときにも、発熱し、自分の学校に寝かせながら家庭訪問をしたときにも、辞めなかった仕事。
 今なら子ども達の記憶に残る、家庭人の母。そして自分の「心の余裕」を育ててみよう。年齢制限もあり、子ども達の義務教育の間に何とか間に合いそうだと分かったときに、私の心は決まりました。
 同業者の夫は、家事や子どもの学習など、協力してくれていました。行事にも多く参加し、授業参観に自分だけが男親ということも多くありました。子どもの教育についてはこれまで十分携わっているので、これからも子ども達と信頼し合っていけるだろう。そう判断し、相談しました。
 「あなたの人生なのだから」そう一言いってくれたときに、私は本当にこの選択をして良かったと、既に思い、感謝していました。
 これまで流れ作業のようにこなしてきた家事。時間がたっぷりあり、明日に持ち越しても大丈夫。がたが来ている我が家にペンキを塗ったり、押し込めていたものを引っ張り出して整理をしたり。
 夕方には、帰宅した下の娘とおしゃべり。時には運動を一緒にし心の安定を図っています。お隣の方には、「明るくなったね」と言われ、お世辞でも嬉しいものです。上の息子は中学でありながらまだまだおしゃべりをしてくれる孝行息子です。そのおしゃべりにも耳を傾け、時には甘やかしています。
 昼間の市民講座に参加をしたり、点字や読み聞かせを習ったり。職場以外の集団がとても新鮮です。
 ようやくこの生活も1年になろうとしています。あと2年の予定。これまで仕事から一番遠いと思われる関心事から手を付けてきました。少しずつやはり「仕事に役立つ」自分作りに近づいていくことでしょう。
 困り事や悩みから知恵が生まれるといいますが、私の場合「気づいた時がチャンス」です。そしてこれまでの選択が一つも無駄がないように今後を生きていくことが、私がこの世に命を授かった、何よりの「チャンス」だと思っているのです。