私の風雪流れ旅

加藤 純子(60代)

 今から三十年程前幼稚園の長男は体が弱くせきばかりしていた。夜中の介護、病院通い、小学校を長く休んだ時は勉強も教えなければならずストレスはたまる一方であった。子供が丈夫になっても蓄積した疲労が取れず、約十年間は病院通いが絶える事はなかった。出口のないトンネルをたださまよっていた。
 ある日気晴らしに行った旅行でバスに酔った人に会った。私は一つだけ知っていたトランプ手品をやってみた。すると薬も使わずに回復された。手品にはすごい力がある!と確信した。
 さっそく手品教室に通い根気のいる練習をしてもなかなか上手にならず恥ばかりかいていた。何度もやめようと思ったが石の上にも三年、不器用な私は五年たってもダメならあきらめようと思った。ある日老人ホームでボランティアをし終わった後に片手麻痺だった人が拍手をしているではないか。話もできなかった人が「おもひろかった。」等と言っている。職員の方々の努力によると思うが、私はこの時少し自信がつき、もう少し続けてみようかと思った。
 横浜市ではゆとり教育の一つに放課後退職した先生が中心になって行う浜っ子広場というクラブ活動がある。私もたまにだが参加している。子供は驚き方も大きく、励みになる。不登校の子が手品のある日だけ登校してくるという風の便りも聞いた。最近授業時間が増加の傾向にあるというが私は浜っ子広場の様な時間が多くなったら良いのにと思う。
 教室に通い始めてから八年、最近はあてたカードに大吉というシールがついて表われるというのを工夫してみた。お正月には大吉の代わりに福生(フッサ)駅の入場券が表われる、という手品をすることにした。福生駅の切符を買うついでに足を伸ばし、青梅渓谷の紅葉を見に行った。途中で少し沈んだ感じのおばあさんに会い大吉シールが表われるトランプをしてみた。まだ紅葉(・・)は少ししか見れなかったが、おばあさんの顔が少し高揚(・・)した。私は逆に元気をいただいて帰ってきた。
 落語家の林家木(・)久(・)扇さんは病院で落語を聞かせているそうだ。楽しい気分になるとキラー細胞が出てきて薬よりも病気にキク(・・)そうだ。手品の場合上手にできた時よりも失敗した時の方が笑顔になる人が多い。もしかしたら病気改善に一役かっているかもしれない。
 私の住んでいる所ではお年寄りの集まりで誕生会を行っている。先日は誕生日の人達にカードを差し上げた。ほんの数例です。
  七十歳を過ぎて役員をされてる方
 ○○さんとかけておでんの湯気ととく
 その心はいつまでもこのままでいてほしい
  編み物上手な方
 ○○さんとかけてクリスマスととく
 暖かい靴下をありがとう
 いつのまにか老人会の演芸係となってしまった。昔病院通いばかりしていた時しか知らない母が生きていたらどんな顔をするだろうか。入会を勧めてもかなり老人のようにならないと私はまだそんな年ではない、とけげんな顔をする人が多い。動きがとれなくなってから助けてください、では虫が良すぎる。縁あって近所に住んでる者同士仲良く老後の準備をしてゆきたいものである。
 会の名前は風雪会という。文字通り戦争をくぐり抜け、風にも雪にも耐えてきた人達ばかりである。私は二歳の時東京大空しゅうにあったが記憶にはない。辛い経験を軽く受けて、水仙の様に強く生きられてる方々に教わる事は多い。
 手品だけより何か変化をつけた方が良いと思い昨年は AED(心臓マッサージ機)の講習を受け老人会でやってみようとした。誕生会は堅苦しくなってはいけないのでポイントだけにした方が良い。AEDを借りに行ったら五時間かけて勉強するものだから十分やそこらでできるわけない、と断られた。できるわけない、と言われるとやってみようじゃないかと思うのが悪いクセでボール紙の箱で作ったAEDとわかりやすくしたプリントで行ってみた。これがきっかけで仲の悪かった友達とも仲直りができた。次回は指圧に挑戦してみようと思う。
 体が弱くなかったら手品の練習を根気よく続ける事はなかったかもしれない。人生無駄な事はない。先日風雪会に行ったら、「よっ、ミセスマギー伸二(・・)」と嬉しい声がかかった。半分おせじで半分ウソでしょうが信じ(・・)ていただけるでしょうか。