2つめの国家資格(介護福祉士)を49歳で取得
-リストラ対象からテレビで専門家として出演するまでに-
小川 みどり(50代)
平成12年、44歳で現職に。臨床検査技師(医療系国家資格)の資格と前職であった 東京大学医学部研究室技術補佐員の経歴も関係して「医学一般」という教科の非常勤講師として就任しました。
そのころの福祉の学校はまだ福祉系の専門資格が無くても私は医師の代替え講師として 医学系の科目を担当させて頂いておりました。
開講して3年目の福祉系の専門学校であった事や介護保険が出来る前であった事など いろいろ混沌としている時期でありある意味このままずっとそこで安心して講師を続けていけるのではと淡い期待を持っていました。
それがたった数年で自分の居場所が無くなるとは思ってもみませんでした。
福祉系の学科の中でも介護福祉科の講師であった私の前に何十年も看護師をやっていた方や福祉施設の施設長、看護婦長を歴任された方々等が次々に入ってこられ、その上厚生労働省の管轄が厳しくなり私の教えていた教科は医師でなくてはならないと限定され、同じ医学系の教科であった精神保健、リハビリテーション学等もそれぞれの専門家でなくてはならないと限定されました。当然の事ですがそのために就職して2年、46歳の時にはもう ほとんど私が教える教科は無くなっていたのが事実です。再就職にはあまりにも厳しい年齢です。また幼い頃からの夢であった講師の仕事が出来なくなることや私の中で訳の解らない危機感が急に押し寄せて来て一念発起、46歳でヘルパー2級資格を取得、さらに介護福祉士を受験できる通信教育の学校に入学し49歳の時に介護福祉士国家資格を取得しました。
この頃にはそのような専門性のある学校で教鞭をとるにはその資格かそれ以上の資格が必要と厳密に厚生労働省から学校側に通達が来ていたのは後日知ることになります。私は その年度はいつになっても学校からの来年度契約の話しが来ないので、私の方から確認の連絡をした所何度連絡を取っても「担当者不在で学校側からご連絡致します」を繰り返す学校側の態度にリストラを直感しました。
介護福祉士1次、筆記試験の前日(平成16年1月末)の事です。目の前が真っ暗でした。それこそ明日試験です。始めはどうでもよい気持ちで筆記試験を受け始めましたが、このまま努力もしないでこの職業から離れるのは自分が許せない。筆記試験合格後は2次の実技試験も3月初旬にあります。国家試験合格率は40~45%の試験。自分との戦いです。2人に1人は落ちてしまう試験。それを、逆に2人に1人は合格する試験だと思い直し記憶力減退と戦い、折れそうな自分の気持ちと戦いながらの勉強の日々を思い出しながら一人で勉強を続けてきた自分を力にして気持ちを切り替え受験。そして実際の合格を厚生労働省で直接確認後こちらから連絡し学校と話し合いを持ったのが3月末日。
その資格合格を知るとすぐに学校側は私に実習巡回と言う仕事をさせてくれる事になりました。学校には後日確認しましたがやはりリストラ対象だったそうです。しかし1年契約の非常勤講師です。契約を継続しないだけと言われてしまえばそれで終わりですが。
資格取得後は今までの様に学校で肩身の狭い思いをする事も無く学生の介護に関する相談にも自信を持ってのれるようになり昨年は日本テレビの「報道特捜プロジェクト」に介護の専門家として出演し、現在は医療・福祉専門相談員としてたくさんの相談を受けそれも仕事にしております。そしてさらに自分の経験を活かし介護福祉士国家試験対策塾を開き塾長として毎年100%の合格率で今までに116名の介護福祉士を世に送り出しその実績が認められ今年度は専門学校の方では実習巡回の講師の仕事だけではなく介護福祉士国家試験対責任者としての任も授かりました。又地元のケアマネージャーの会での講演講師に招かれたり福祉関係塾での仕事も増えました。
これもあの時周りの動勢にふりまわされる事無く諦めずに自分自身を信じ自分の道を進んだからだと思っています。
資格、それは私にとって人生を変える一歩でした。夢を叶えるために、自分を変えるために、人生を歩んでいくために、これからも挑戦し続けます。仕事を続ける事それ自体が自分との戦いであり魂との戦いです。自分の人生は自分で切り開く事が大切であるという当たり前の事が1番重要であると実感している私です。