女性の再挑戦体験談

K・O(60代)

 もう1年すると古希を迎えようとしている私は、今日も忙しく充実した毎日を送っています。これも60才定年迄大好きな建築設計の仕事を一旦退いてもセカンドチャンスを逃さず、存分に成し遂げたという裏付けがあるからだと自負しています。
 私は、小さい時から自分の部屋を手作り人形で飾ったり、家具を並べ変えたり、庭に花を育てたりするのが大好きでした。将来は住宅設計に携わって自分好みの家を建て花咲き乱れる町を作りたいと、山口県の片田舎で江戸時代に出来た民家のような代々つたわる家に住みながら夢見ていました。
 大学に入学建築の勉強をしました。卒業間近になると担当のゼミ教授が「君は地方出身だからN設計事務所に就職するといい。」と云われ卒業設計図を持って面接に行き運良く入社を許されました。日本で一番大規模な設計事務所ゆえに、優秀な人が沢山い仕事にも恵まれ私は夢中で与えられた設計に没頭しました。机上で作図した図面通りの建物が竣工していく。時間が何時間あっても足りないくらいスケッチを繰り返し、決断しなければならない事も多く、毎日毎日が大変だが充実していました。私生活でも沢山の人と繋がりが出来、その中のひとり(現在の主人)と結婚しました。昭和39年東京オリンピックの年のことでした。
 子供に恵まれたり主人の大阪から東京への転勤等で、私は状況の変化に流され専業主婦になっていました。当時は古い浴衣でおむつを縫い毎日それを洗濯して使ったり、産着を縫ったり、手作りの料理を作ったり、受乳したりそれはそれで忙しく満ち足りた毎日でした。そんなある日、建築家の義父からT建設の設計部へ書類を届けるよう依頼され会社に行く事になりました。久しぶりにてきぱきと仕事をこなしている現場の人々に接し、まさにアッパーカットをくらわされたような衝撃を受けてしまいました。「あんなに住宅設計者になる事に憧れていたのに、家庭という狭い空間にどっぷりとつかって満足している。これでいいのだろうか?」
 私はどうにかしなければと悩むようになり、その結果「そうだ! 専業主婦の今一級建築士の免許をとろう。」と決心しその日から勉強を始めました。猛暑の8月、1次学科試験の時には1才になった上の子供の他に2人目がお腹に宿っていました。10月27日は2次設計実技試験日ですが出産予定日直前で、折角1次に合格しても2次は出産で無理かもしれない。とにかく運を天に任せて2次試験の朝を迎えました。外は快晴、青い空が広がっていました。陣痛もなく、予兆もなく思いきって腹帯をとりはずして試験場にむかいました。机と椅子のあきは少なく、大きなお腹をやっと入れて座るとちょうど-杯。腰を屈めてT定規で図面を書くのは大変でした。時々「きゅうくつだぞ!」とお腹の中で息子が信号を送っていました。それに、トイレが近くなるというおまけまであり、長時間の実技試験は本当に大変でした。何とか終わり1週間後、朝早く突然陣痛が始まりパトカーに先導され病院に着くと間もなく元気な男の子が生まれました。私は2人の年子を持つ母親になったのです。気配りある息子のお陰でめでたく合格通知も手にすることができました。
 昭和43年、まだ保育施設も沢山無く、まして1才以下の乳児を預かってくれる所も無い。女性で乳飲み子を2人抱えた主婦を採用してくれる会社も無い。八方塞がりでもあきらめない私の粘り強さが実りやっとT建設の設計部に就職を決めることが出来ました。
 しかし、それであらゆる事が解決した訳では無くむしろ苦労のスタートだったのです。当時、フルタイムで働きながら子育てをしている女性を見る社会の目は批判的で、会社に迷惑をかけるという事は許されないし、自分自身もそれはあってはいけない事だと思っていました。子供の病気、鍵っ子問題、進学問題等大変な事も沢山有りましたが、家庭を持ったお陰で何と多くの経験が出来た事でしょう。今振り返れば、子供達が健康優良児で表彰された事、上野美術館に繪が展示されたこと、人より一寸遠回りしたけど目ざす大学に入学卒業出来た等良い事ばかりが思い出されます。私もバブル期にちょうど40才の働き盛りを迎え、担当物件に恵まれ多くの建物を竣工させることが出来ました。同時に沢山の仲間を作る事も出来、定年後の今も豊かな生活形成の一旦を担っています。住宅設計者になろうと選んだこの道でしたがビル建築設計に40年間携わったお陰で、会社組織をはなれても自宅の設計や友人や親戚の新築に係ったり、長年培った知識が生活の一部になっている事は幸いです。
 最近は、新しい建物を建てる為に古くからある大木を伐採し、由緒ある建造物を壊し、古き良き街並を損ねてきた償いに環境保全活動に参加しています。ずっと描き続けてきた花咲き乱れる街並に近付くよう何らかの形で係っていこうと思っています。
 「何事にも諦めずチャレンジすれば、不可能はありえない。」を忘れず人生をエンジョイしたいと思っています。