薔薇色の人生
A・I(30代)
「人生で今が一番楽しい」。36歳にもなって、自信を持ってこう言える自分が誇りです。
初めての就職先は富士通の子会社で、システムエンジニアをしていました。初めての1人暮らし、初めてのちゃんとしたお給料、スーツを着て通勤する毎日、何もかもが新鮮で楽しくて、自立した女性っぽくなった自分が自慢でした。自分で稼いだお金の使い道を、全部自分で考えていいなんて、今思えば夢のようです。親への仕送りはほどほどに、毎日の付き合いや、海外旅行など、殆どを自分の楽しみのためだけに使っていました。
ただ、男女の賃金差がない仕事柄、仕事上の責任はどんどん重くなり、残業や徹夜や土日出勤も当然のようにありました。その頃の私のスタンスは「思いっきり仕事して、思いっきり遊ぶ」でした。遊ぶ予定を守るために、仕事をこなしているような状態です。時間を有効に使うことばかりに気をとられ、スケジュール帳が常に埋まっていないと落ち着かないような毎日でした。
そんなゆとりとは無縁の生活をしている時に、夫に出会いました。同じ歳ではありましたが、その頃の夫はまだ大学院生で、私にはない気持ちの余裕がありました。そんな夫にひかれ、付き合ううちに、妊娠が発覚しました。私の両親にはすでに紹介済みでしたが、相手の両親に紹介してもらっていないうちに妊娠するなんて、私にとっては耐え難い、恥ずかしいことでした。まだまだ結婚なんて話題にもならない、夫にとっては、人生はこれからといえるような状況での妊娠です。どうしたらいいか、途方に暮れました。
でも、夫は迷わなかったのです。いろんな場面で価値観がぶつかる二人は、妊娠発覚後もケンカしました。そんな時はすぐ動揺し、堕胎も考えた私とは違い、夫は二人で家庭を築くことを冷静に考えてくれました。この人とならどんなことも耐えられると思い、二人はひっそりと結婚式を挙げました。
仕事は迷わず辞めました。今思えば、その場の勢いでした。妊娠したことに動揺し、つわりが始まり、誰にも相談できず、仕事にも影響が出ていたところに、上司との面談があったのです。「最近仕事に身が入らないようだけど、どうしたの?」と訊かれ、思わず「もうすぐ辞めます」と答えてしまいました。もともと有能ではなかった私を、上司も熱心に引き止めることもなく、あっさり辞職となりました。
子どもが産まれてからは本当に大変でした。当時院生だった夫の奨学金しか収入源はなく、4年ほどしか勤めなかった私の退職金は、ほんの僅かしかありません。25歳での出産、育児は、両親の助けがなければとても乗り越えられるものではありませんでした。
そんな中で夫はなんとか博士号を取得し、仙台に就職先も決まりました。2歳前の子どもを連れて、初めて住む東北です。周りに知り合いもいないし、両親は心配しましたが、私は平気でした。もともと楽天的で、楽しみを見つけるのが得意です。仙台は観光地も多いし、温泉も近いしとワクワクしました。子育てしながら観光めぐりできるなんて、なんて素敵なんだろうと、娘を連れてあちこち出歩きました。託児付きの識座にも片っ端から参加し、ママ友もどんどん増えました。息子も産まれ、子連れで遊べる友人もでき、夜鳴きやオムツはずしに悩みながらも、楽しい専業主婦生活でした。
やがて娘が4歳になり、幼稚園と保育園のどちらにいれるか迷う時がやってきます。保育園に入れるからには働かなくてはなりません。でもその時、近所に娘共々とても気に入った保育園があり、そこへ入園するために働くことを決心します。仕事先は東北大学の中の非常勤です。最初に見つけた仕事のテレフォンアポインターが、あまりにうまくいかなくて首になり、見かねた夫が縁のある教授に紹介してくれて得た職でした。1年ほど勤めましたが、夫の転職と共に、横浜に移ることになり、また職探しです。
引っ越す直前にもう1人息子が産まれ、新しい土地で3人の子をかかえての保育園探しは大変でした。区役所に相談すると、偶然7月にできるという保育園が近所にあるとのこと。申し込んでみたら、長女だけ入所できることになりました。運良く職も見つかり、息子達の保育園も長女とは別のところで決まり、なんとか新しい生活をスタートさせることができました。
今の職場は、夫の母校である東京工業大学です。非常勤職員といえばかっこよくきこえますが、実際はパートタイマーです。実験補佐員として基礎の基礎から仕込んでもらい、もう4年半働いています。
まわりは学生さんばかりで、殆どの方が年下です。年上の私達のことはとても敬ってくれ、毎日楽しく仕事しています。母や妻としてではない私がここにはいます。夜の飲み会にも誘っていただき、最近ではプライベートな集まりにも誘ってもらえるようになりました。
パートタイマーですので、拘束時間は朝の9時から4時の週4日です。おかげで学校のPTA活動や、こども会の活動にも無理なく参加することができます。仕事でのつきあいだけでなく、専業主婦の集まりにも参加させてもらえて、近所でも友人がたくさんできました。仕事をしてる、してないにかかわらず、付き合ってくれる友人には感謝しています。
そして、私の本当の夢は別なところにあります。エッセイストか小説家か脚本家になって、母親や思春期の子の気持ちを代弁するのが私の夢です。私の今の生活は、そんな将来を目指しての土台作りです。いろんな人のいろんな考えを知り、いろんな状況でのいろんな立場を経験し、それらすべてをいろんな形で還元できたらと思っています。
そう思って暮らしていると、どんなことでも楽しめるし、どんな悩みの相談にも、自分の身に起きたことのように、親身になってあげることができるのです。そして自分自身の悩みすら、第三者的に考えることができるのです。こんな新たないきがいを見つけてしまった今、私は毎日の生活が楽しくてしかたありません。無理せず、あせらず、淡々と過ぎ去る日々のなかにある幸せを数える私。
まさに今、人生は薔薇色なのです。