私の使命はきっとある!
大塚 まさこ(50代)
今、私はファイナンシャルプランナー(FP)として、日経BP社にコラムを書き、毎月女性センターで仲間と共にセミナーを開催している。
数年前まではごく平凡なパート勤めの主婦だった私が、皆さんに情報を提供する立場にいるのだから、“成せばなる”“チャンスは誰にでもある”そのものではないだろうか。
この大変身に一番驚いたのが、若い男性のFP仲間達だ。なにしろ、メールもできない、責任ある仕事経験もない、そのうえ確たる自信も人脈もない普通の主婦が、3年の間にコラムを書くようになるなんて誰も想像できなかった。そう、120%あり得ない事だった。だが、自分の力量よりちょっぴり高いハードルを飛び越える度に、徐々に自信が出てきた。その内面から出てきた自信は外面に如実に現れ、私は「綺麗になった」らしい?!
というわけで、55歳までに一人前のFPになろうと決心した。それからは何事も「種まき」と考え積極的に行動したお陰で、ようやく昨年から少しずつ「収穫」できるまでになった。今年9月、私は55歳になる。2008年は私にとっては「勝負の年」なのだ。
・学ぶ事の楽しさを手に入れた
十数年の専業主婦を経て子育てが一段落した私は、42歳から六年間は保険会社の事務をしていた。だが、何かを模索するために退職し、ハローワークの職業訓練講座を受講した。失業中の老若男女と三ヶ月間、机を並べ勉強することはとても新鮮で本当に楽しかった。そして、「福祉住環境コーディネーター」の試験を受け資格を手にした。
当然のことだが、この資格を裏付ける職業経験のない主婦に仕事があるほど世間は甘くは無い。しかし、仕事を手にすることはできなかったが、学ぶことの楽しさを手に入れることができた。これは大きな収穫だった。人生に無駄な事はないということかもしれない。そして、パートをしながら前から興味のあったFPの講座に通いだした。
・2002年 ファイナンシャルプランナー2級
・2004年 DCプランナー(確定拠出年金)2級
・2006年 ファイナンシャルプランナー1級(6科目を3年がかりで取得)
・2006年 キャリア・コンサルタント養成講座を受講(雇用能力・開発機構)
この五年間は本当によく勉強をした。今、同じことを強要されてももうできない。
・いくつもの資格取得! それを支えたものは・・・
家族の理解や応援はもちろんだが、二つのポイントが挙げられる。
一つめは、お金のことだ。これらの資格取得にかかる費用は、合計するとかなりの額になる。幸いにも働いていたお金で賄うことができた。当時は子供に教育費がかかる時期で家計から捻出するのは、夫の手前できなかった。仮にできたとしても、申し訳なくて間違いなく勉強は断念していたと思う。
二つめは仲間の存在だ。偶然見つけた女性FPの会や勉強会に所属したことで、本当にたくさんの性別・年齢を超えた大勢の仲間と出合うことができた。その仲間達と定期的な勉強会やセミナーに参加し切礎琢磨したお陰だと思う。将来の展望が見えずに挫折しそうなときもあったが、何とか乗り切る事ができた。
何か新しいことをはじめると言う事は、家族の協力はもちろん、自分のお金を持つ事の
大切さ、そして仲間の存在に尽きるといっても過言ではない。
・「悶々」~「気力」~「信念」~「行動する」へ
長いブランクで社会に出る勇気や自信もなく、さらに子育てを盾に行動に踏み切れず悶々と過ごした日々。そして、いつもイライラして家族に接していた私。その最大の被害者は間違いなく子供たちだ。今思い出しても当時の自分が情けなくなる。
けれども不思議な事だが、勉強を始めたときから次第に「気力」が湧いてきた。資格をとっても仕事につながる可能性は低く、収入に結びつく保証も無い。あるのは、「私の使命は必ずある」という漠然とした信念だけ。その信念が、「行動する」ことに結びついていったのだと思う。だから、私は「行動する」という言葉が大好きだ。
何故なら、ここ数年間の行動がなければ私は相変わらず「子供がいたから自由が無かった」「夫が仕事で毎日帰りが遅い」「パソコンなんてできるはずが無い」等など、いくつもの“できなかった理由”を挙げ自分を正当化していたに違いない。
確かに家庭に長くいると、“始めの一歩”を踏み出すのは簡単ではない。だからといって、考えがまとまるまで待っていたら日が暮れてしまう。
“始めの一歩”がなかなか踏み出せない人は、とにかく働いてみるなり、我慢していたことに挑戦してみるなり、行動を起こすことだ。すると不思議なもので、二歩目の足の着地点や自分がなすべき事が見えてくるのだ。そうこうしているうちに三歩、四歩と歩む方向がさらに明確になってくる。
私はそうしてここ数年間を過ごしてきた。そして、ようやく自分の居場所や、進むべき方向が見えてきた。