女性のセカンドチャンスに求められるもの
児玉 和子(60代)
子供時代、アフリカを舞台にした「少年ケニヤ」の本に夢中になり、アフリカへの好奇心は成長するにつれますますエスカレート。 そして、初めての就職で得た給与の一部を語学習得に投資し、東京八王子の仙川にあったアジア・アフリカ語学院のスワヒリ語学科に、1年間仕事終了後に通学。就職1年半で、夢を果たすべく自分から退職、念願だったアフリカに出発した。
1969年の時代は、1ドル360円、しかも海外赴任や旅行するときは空港のあちこちで、今生の別れとばかりに万歳三唱、お餞別を渡す慣例がはびこっていた。
例をもれず、私も万歳三唱の洗礼を何回か受け、一端外国に出ると短くても半年以上「郷に入れば郷に従え」スタイルでアフリカやアジア、中南米、アメリカ50州を見聞しまわっていたのです。
女性の一人旅はまだ珍しい時代とあって、良し悪しにつけ度々マスコミの眼を引いたものです。(少々自慢になりますが・・)
戻っては出かけ又復職を繰り返す年月の最中、母が1回目の脳内出血で倒れ、2回、3回目の発作で植物人間に近い状態となってしまったのです。しかも「半年ぐらいしか持たないでしょう」と言う医者の宣告。多少の歯科医療の経験があり、兄弟の中で一番気ままな生活を送っていた私は、兄弟の反対を押し切って半分強引に、仕事もやめ実家に近いところに家を借り、寝たきりの母を引き取ったのです。 それから週1回、兄弟の交代を条件に、トイレ・排泄・身体介助・食事の世話など、24時間目の離せない介護生活の数年が流れました。
しかも、意地と負けず嫌いから、母がかかる治療費のみ兄から支援。 私は、家賃から食生活費全てを貯蓄の切り崩しでまかなっていたため、母亡き後、40代半ばで貯蓄はゼロになってました。
その上、母亡き後の遺品の整理や私の勝手な行動が身内の非難の対象となり、あらぬことを言われたりして心身とも疲れ果て、1からやり直しとばかり、借金をしてアメリカ在住の知人をつてに、英会話習得と思いアメリカに渡ったのです。
そのアメリカで、英語の会話能力をはかるTOEICの存在を知りました。これからは‘これだっ’と直感的に悟り、又日頃会話力として英語の必要性を認識していたことと重なり、すぐ日本に戻り、TOEICのシステムや考え方、会話力の教材の普及活動を行っていた会社に、自らを売り込んだんです。
ここでの仕事を通し、社会人としてのコミュニケーション力、プレゼン力や交渉力、自己責任力、判断力や時間管理、マネージメント、そして会社の肩書きを持つ意義や心構え、あきらめない、感謝の心など総体的な人間力を4年近く学ばせて頂いたのです。
今でもこれらは私の礎であり、子どもから社会人、出会った全ての方々は私にとっての先生です。
順調に4年近く仕事をする中で、私の夢であり目的であった「体験を生かした違いの素晴らしさ」を伝えていきたい願望が芽ばえてき、友達などに私の夢を話すことで、自分の中に起業しようという決意が日ごとに膨らんできたのです。
誕生月の9月に起業することを決意。 しかし情報を集め始めたものの、どういう手順で何をどのような形にしたらよいかが分からないまま日はどんどん経過し、おだてられるままに「えい、ままよ」と資本金300万円、発起人7人の名前を借りて株式会社を設立したのでした。
設立当初は、少々の蓄えもあったしネットワークでつながっている知人や仲間もいたし、慌てずとも時が経たてば・・と非常に甘い考えで日のみズルズル経過し、会社としての使命や明確な方針、運営や経営というビジネス機能を全く果していませんでした。
内容的には、異文化を含むコミュニケーションの企画から教育研修、外国人のための諸々の相談、国際交流、異文化マガジンの発行などやりつつ、ネットワークで知り合った方々と「ワイワイキャラバン」の呼称をつけ幼稚園での異文化体験や海外との交流体験。 又社会に貢献できたらいいね、の発想から「サン・プロデュース」の呼称を付けて女性起業家3人の体験を、人間学の講座・セミナー・研修の形で企画実施し、細々ながら現在に至っています。 最近は、コミュニケーション手法のコーチングやピアカウンセリングを使い「心と健康」つくりに主流をおき、20年続けていられるのも、人的ネットワークと思い入れ、支えてくださる方々の恩恵があってこそと感謝しています。
さて、世の中が変わり続ける中で、どんな人でもその人なりの関わり方で社会とつながって生活していきます。 しかも今の日本は、若い人たちにとっての「既定路線」が崩れているようで、どこへ向かって何をすべきか、それがとても見えにくく、 言い換えれば行く手には様々な道があって、何をしてもいいわけです。
だからこそ、充実する仕事生活を送っていくためには、変化に対応できる自分を作ることがまず肝要。
年齢にかかわらず「挑戦する力」「勉強する力」「粘り抜く力」、これがセカンドチャンス成功への3種の神器といえるかもしれません。
不透明でしんどい時代に、新たな生きがいを見つけたり、就業していく方々に一番大切なことは、自分としての夢や希望を捨てず、自分で考え、選択して行動できること(例えばNGO、NPO、出世一直線でなく社会起業など)。又自分にとって生きがいとするものの目的を明確にし、どんな心構えで社会に望まなければならないか、望んでいきたいかをはっきりさせることです。
ましてや今、は良い事も悪い事も含めて多種にわたる情報の山に囲まれています。その中で自分に必要な情報を選んでいくことは至難の業かもしれません。引く手あまたの甘えに乗らず、情報を見極め、自分と社会を継続的につなぐ環境作りの橋渡しが何か・・をじっくり考えてください。
社会と関わりながら、自分の好きな事やりたい事ができる喜びや感動に近づくと同時に、人間関係や仕事、生活環境の中で様々な悩みや課題にぶつかる機会もでてくるでしょう。
無計画に何も考えず気持だけが先行して仕事に就いたけれど、「自分には合わない」「こんなはずではなかった」と職場を渡り歩いたり、適当な口実をつけて活動をすぐやめてしまうこともでてくるかもしれません。そのような自分になっていかないよう、早いうちからあなた自身の「個」をしっかりと棚卸しておくことです。 自分に自信が持てる強みや自分の好きな性格や誰にでもPRできる自分開示でしょうか。
それと同時に、社会環境が、女性のパワーとコミュニケーショウ能力を求めている背景もしっかり把握しておいたほうがいいかもしれません。
ケータイ電話やメールに慣れ親しんでの世代の大半が‘直接的人的交流が苦手らしい’と聞く傍ら、職場人間関係を重視、コミュニケーション力をポータブルスキルとして身に付けたいと願ってる女性も増えているようです。コミュニケーション能力は、生活していく上での強い味方になり、キャリアの魅力にもつながっていきます。
社会人になるという心構えを、もう一度自分の中で問うて、掲げた目的に向け、まず一歩踏み出してみてください。そして若いうちの失敗や挫折を恐れないでください。どんな失敗や挫折で回り道しても、夢や希望がしっかり決まっていれば、成長過程でのすべての肥料になっていくのですから・・