再スタートは今すぐに
A・S(40代)
私が外国人ビジネスマン向けの日本語講師として働くようになってから、今年で七年目になります。今五十歳です。この仕事を始めたのは四十三歳ということになります。再スタートするには随分遅いと思われるでしょう。出産や子育てで一時休止していた訳ではありません。平凡なOLを三年半して結婚退職後、三十一歳で長女を、三十三歳で次女を生み、四十歳まで子育て一筋、アルバイトなどをしたことも全くありませんでした。
十年前のある日、母校の大学の同窓会会報誌で「日本語講師養成講座」の受講者を募集しているのを見つけました。週一回土曜日の午前中二時間で、母校のOGが講師として講義をするものでした。行ったことない国の空気に触れられたら楽しいかも・・という単純な興味で受講を決めました。四十歳でした。
長い間子育てと家事しか知らなかった主婦でしたから、自分用の筆記用具もなく、初回の講習日には、小学生の娘からシャーペンや消しゴムを借りて出席しました。大変だったのは「話を聞きながら書き取る」作業でした。学生時代は当たり前だった能力がすっかり退行していたのでした。受講生は十二人で、受講中に何度か摸擬授業(受講生を外国人生徒にみたてて授業をする)をするのですが、私のそれを見た講師の方が「教えることに向いているので勉強しながら教えたらどうか」と、私にだけボランティア団体を紹介してくれました。未だ受講中でしたが、講師の言葉に後押しされて、週一回午前中二時間、新宿区の区民センターでボランティア活動を始めました。
二年半ほど試行錯誤しながら教えるうちに「もっと上手に教えたい」と意欲が出てきました。これから長く続けていくためにも、正式な資格が必要だと思い、日本語講師養成講座のある専門学校の数校の資料を取り寄せ、その中から自宅に近く、私の生活パターンでも無理なく資格が取れる学校を選びました。提出する授業課題には、ワードが必要とのことで、同時に近所のパソコン教室にも入会し、通い始めました。2001年8月から一年間、週二回は専門学校へ週一回はパソコン教室とボランティア、同窓会から頼まれた個人レッスンを続けました。
毎朝5時起床で中学生の長女のお弁当を作り、中学受験の塾に通い始めた次女のお弁当作りと夜の送迎も加わり、肉体的には大変でしたが、実践的な授業はボランティアの活動経験があってこそ生きてくる有難い授業でした。受講中にとても尊敬できる先生に出会い、いつしか「この先生に認められたい」と思うようになりました。ある日、その先生の前で摸擬授業をするチャンスが巡ってきました。その先生は大変厳しい辛口の講評をする方でしたから「絶対に認められるような授業をしてやろう」と決心し、練りに練った教案で摸擬授業に臨み、先生に「素晴らしい授業でした」と講評された時は、心の中で思わずガッツポーズ!
卒業を9月末に控えた7月、振替受講をしていた休憩時間に、その先生に声を掛けられました。「仕事をするつもりがあるなら、是非紹介します。私と一緒に働きませんか」という話でした。何というチャンス!専門学校を卒業したその日にその足で先生を訪ね、履歴書を渡して就職先への紹介をお願いしたのでした。10月第一週目に面接と摸擬授業をし、二週目に非常勤講師(派遣)として採用通知を頂き、三週目には新規レッスンをスタートしました。四十三歳になっていました。それから徐々に受け持つ生徒も増え、一人一時間から二時間のレッスンを週十六コマこなしていた年もあります。あっという間に七年です。長女は大学一年、次女は高校一年になりました。家事と子育てと仕事を、自分なりの段取りで無理することなく続けてきたつもりです。時間で動くような忙しい毎日なので、限られた時間をどう効率的に使うかを考えるようにもなりました。この仕事をしていなかったら会わなかっただろう世界の人たちと話し、彼らから学ぶことも多いこの仕事が大好きです。感謝されて、お給料を頂き、自分のお金で旅行や買い物を楽しめることの素晴らしさ、誇らしさ!わずかばかりの経済的自立ですが、達成感と充実感があります。
こうして、私は「セカンドチャンス」を得たわけですが、それには大事なポイントがいくつかあると思います。まず、興味を持てる、好きになれることを選ぶこと。好きでなければ長続きしません。二つ目は最初からお金をもらおうと欲を出さないこと。直接お金に結びつくことだけが仕事ではありません。三つ目は努力なくしてチャンスはないということ。目の前にある事に全力を尽くし、努力している姿は絶対に誰かが見ているものです。出会いがあってこそチャンスが生まれるのだと思います。私にもチャンスを下さった二人の先生との出会いがその後を大きく変えました。
「働きたいけど、この年齢じゃね」とぼやく人がいます。そうでしょうか?「私なんて何の資格もないし」とか「子育て中だし」「時給低いし」など、できない理由ばかり並べたてる人がいますが、これは自分への過小評価と言い訳にすぎないと思います。もし、何か仕事がしたいと思っているのなら、まず「動く」ことです。アプローチしてみることです。パソコンのキーを叩くだけであらゆる情報が得られます。「資格もない私」にもできることがあります。必要とされる所が絶対にあります。「時間がない」今だからこそ、限られた時間の中で必死に取り組めるのです。「子育てが終わってから」スタートするのでは遅すぎます。待っているだけでは何も始まらないのです。こうしている間にも、どんどん時間は過ぎ、年をとっていきます。始めようと思った時こそが「セカンドチャンス適齢期」だと五十歳の私は思うのです。