人生の転機

Y・H(40代)

 私の転機は二回ありました。一回目は、妊娠・出産で育児中心の生活になったこと、二回目は交通事故に遭ったことでした。
 小学校の教壇に立っていた私は、妊娠とともに家庭に入りました。夫の両親と同居していましたが、よそ様の子どもを教育するのには、自分の子どもは自分で育てなければと思い、教師をやめました。でも全く家に籠ってしまうのも寂しく、両親の協力のもとで、自宅で小さな学習塾を始めました。塾のモットーは、『学校の授業を楽しく理解できるようにお手伝いをする』。 授業のじゃまはせずにわからないところをフォローしようと思いました。今までは学校の中の人間でしたが、塾の小中学生やその親との交流から、学校を外側からも見るようになりました。やがて長男が誕生し、三年後には次男にも恵まれました。子育てをしながら塾を続けるのは忙しかったですが、毎日が発見・感動の連続でとても充実していました。
 そんな時、同居の義父が倒れ、余命三か月と宣告されました。長男五才、次男二才の時でした。私は、子育てと塾に加えて介護という仕事が加わり、とまどいながらも精一杯努力し、義父に感謝の気持ちを示しました。義父は手術後九か月を自宅で生きぬき、静かに旅立って行きました。その悲しみも癒えない一周忌直前、今度は義母が交通事故に遭い、九か月の入院生活を余儀なくされました。毎日病院へ孫の顔を見せに行き、洗濯物を替えて、とあわただしい毎日でしたが、子どもの笑顔が心を癒やしてくれました。我が家でいろいろな事が起こっても、毎年春は巡って来ました。塾の子どもは我が子同然。高校受験は毎年はらはらしましたが、合格を知らせる子の笑顔が、全て忘れさせてくれました。
 家を新築し、三男が生まれ、またまた忙しい毎日。そんな時、全国の小中学校に学校図書館司書を配置する計画があることを知りました。私はさっそく放送大学で勉強して単位を取りました。将来仕事に就くのに役立つと思ったからです。家にいても常にアンテナを高くして情報を集めることを心がけて、できることはやってみようと思っていました。
 第二の転機は、三男が保育園を卒園する年の二月に突然やってきました。私は自分の車を運転して信号待ちをしている時、追突されたのです。三台の玉突き事故のまん中で、前後の車にはさまれ、車体は約六十センチも縮んでしまいました。幸い外傷はなかったのですが、首のむちうちと腰痛がひどく、回復するのに長い時間がかかりました。四月から小学校へ非常勤講師として復帰するはずだったのに・・・。
 早く良くなりたいとあせる気持ちと、思うように回復しない体がアンバランスで、今考えるとうつ状態だったと思います。一か月程塾を休みましたが良くなりません。少しずつ慣らしていこうと塾を再開し、子ども達と勉強を始めましたが、体調は一進一退でした。体が良くなったら何をしようか?少し前向きに考えられるようになった頃、小学校での絵本の読み聞かせボランティアに参加しませんか、という話がありました。もともと本が好きで司書の勉強もした私は、参加することにしました。私が読む絵本をくい入るようにひきこまれる子ども達の姿を見て、これが私のやりたかったことだと気がつきました。小学校と併行して中学校でも読み聞かせをしました。中学では、古典由来の昔話を読んだり、古文をギャル語に訳したり、英語の本を読んだりしました。『英語』これもスキルアップしたいと以前から思っていました。折りしも小学校に英語が導入されるとのこと。そう、これからは英語の時代だ、と思い愛知産業大学短期大学部英語科の通信教育を受けることにしました。スクーリングの授業では、年齢も職業も違う人達と一緒に勉強し、多くの刺激を受けました。外国人の先生の授業やコンピュータの授業はずいぶんとまどいましたがクラスメートが応援し協力してくれて、何とか単位が取れました。一年が経ち、必要な単位が取れ、中学校教諭二種免許状(英語)を手にすることができました。あの事故から三年半が経っていました。
 現在私は、学習塾をたたみ、小学校に非常勤講師として勤めています。この仕事は、赴任校の実状に合わせて、少人数のクラスを受け持ったり、ティームティーチングの先生になったり、専科で教科を教えたりします。司書免や英語は、直接関係ありませんが、小学校はいろいろなことをやるので、役立つ時もあると思っています。前任校では、外国籍の子ども達に日本語を教えました。豊川市では外国籍の子どもが増えていますが、ことばの壁は大きく、せっかくの能力を引き出すのに困難な場合が多いです。そこで私は、今度は日本語を教える日本語教師になろうと、少しずつ勉強しています。
 転機はチャンスです。人生で無駄なことはありません。子育ても介護も仕事も、何とすばらしいことでしょう。事故の後、どっちを向いて寝ていても苦しかった、あの時でさえ意義深く感じられます。その時を越えたから現在の私があるのですから。常に前向きに、希望を持って生きること。これが私の転機に学んだことです。これからも、もちろん、常に挑戦しつづけていきます。