生涯現役をめざして新たな出発
藤原 寛子(60代)
私は、五年前に職場の「55才早期退職制度」ができた初年度、自分で34年間の仕事生活に幕をおろしました。
22才で就職した時から、男性優位の社会に対して、男性に負けたくないとの思いを強くいだいていました。「どうして男性に生まれなかったのだろう」と、いう思いもありました。だから、女性であるという意識はもたず、すべてのチャンスに挑戦しました。
結婚、3人の娘の出産、育児の期間も、配偶者の協力もあって、無事にくぐり抜けました。女性初の係長、課長、次長がついてまわり、管理職にと昇格していき、ますます仕事が生きがいになっていきました。
結婚し、子どもも育てながらの状況のなかで、仕事を続けていることに、まわりから応援の目があり、ずいぶん勇気づけられました。
50才を迎える頃に、家族と離れて、単身生活も受け入れました。このときも女性で住所を変えて異動した最初になりました。
この頃です。常に「ナンバーワン」を目指して突進してきた私が、「女性であることも悪くはないな」と思えるようになってきたのです。
多くの部下を抱え、外部の方々とも交渉する機会が多く出てきました。内部でも外部でも、強い態度で望むと無理なことも、女性のもつソフトさで、柔らかく対応するとうまくいくことがありました。男性にはない、優しい言葉遣い、柔らかな態度、でも責任はきっちりとる態度を示す、そんな事で思いが通じる経験でした。加えて、自分をより美しく見えるようにおしゃれをする楽しさも味わえるようになってきました。エステに通ったり、かなづちだった水泳もマスターし、からだづくりにも熱中し始めました。「女を売らず、女を捨てず、女を生きる」そんな気持ちでした。
一方で、部下に良い仕事をしてもらうためには、人間性を高め、信頼してもらう事であると自己啓発を心がけました。
単身生活で、家事労働のない時間をその時間にあてました。家族の協力でできた生活、時間を無駄に使いたくないという思いもありました。
手がかりに「健康生きがいづくりアドバイザー」を受講、だれにでも訪れる定年を待つのではなく、自分から迫っていこうと考えたのです。
一つの資格を取得したことにより、どんどん考え方が広がっていき、数個の資格につながり、次第に、私の頭に構想ができてきました。
この変化の激しい時代、これからは自分の思いを形にしていく「生活産業」の時代ではないか。又、環境問題など多くの問題解決が問われている時代です。
白分の子ども、子孫に対する影響を考えていて、環境運動でも指導的役割を果たしていけるのは女性ではないか。女性ならではの発想、感性を生かして社会に貢献できたらすばらしい。「ナンバーワン」より「オンリーワン」の思いが強くなってきたのです。
自分の子育ての反省もいかして、子育て中のお母さんの支援をしていこう!
子育ての楽しさを感じてもらい、子ども達の笑い声がたくさん聞こえる社会づくりのお手伝いをしていこう!そんな思いが強くなってきました。
時期を同じくして、「早期退職制度」が実施され、割り増し退職金を元に、まだ活力のあるうちに、新しいスタートを踏み出そうと決意したのでした。
すでにネットワークに所属し、中高年齢者への健康生きがいづくりを支援する講演活動などをしていたので、継続していくために、単身地の仙台市で実現することにしました。
長生きできる社会になった今、高齢者にもまだまだ役に立つことがあることを知ってほしい、健康で長生きしてほしいと願い、子どもと高齢者のふれあいの場をつくりたいという思いもありました。
仙台市でも若い方が多く、しかも転勤族も多い地を侯補にして、土地、建物を取得しました。私の34年間の成果であり、新しい出発の場であります。
退職して10ヶ月後の2004年2月、「スロー・テンポ」という名前で、起業し、四年が経過しました。
「スロー・テンポ」という名は、「日々、子育てなどの忙しさの中で、自分自身をどこかに置き忘れていないか?歩むテンポを少しゆるめて、自分探しをするお手伝いをするお店(テンポ、いろいろなものを提供できるところ)」という思いからつけました。
収入は、やっと現役の頃の五分の1程度です。でも、子ども達が、歩けるようになって、お話ができるようになってと成長していく様子と屈託のない笑顔から生命のエネルギーをもらっています。
又、自分だけの時間をもってリフレッシュし、笑顔を取り戻したお母さん方の喜び、感謝の声を直接受け止めることができて、はりのある毎日を過ごしています。
「ひろこママ」と子ども達から呼ばれています。たくさんの孫がいる喜びをかみしめて、がんばるぞ、「ひろこママ」!