再挑戦は出戻り新人店長
髙橋 和子(60代)
私が就職したのは、二十三年間の専業主婦を脱皮した四十五歳という遅いスタートでした。職場は住居近くに新設された大型スーパーの中のカルチャーセンターを選びました。各分野の講座を考え、講師を探すのが主な仕事です。また講師、受講生への対応、スタッフ教育等も任されました。それに加えて年四回パンフレットを新聞折り込みにする紙面構成にも携わります。
何しろ独立採算制なので、店長という名のもと人事費や宣伝広告費等の数字も把握しながら動かねばなりません。接客も良いことばかりではなく、クレーム処理で胃の痛むことも度々でしたが、やりがいが何にもまして私を支えました。
やがて定年を後二年に数えた時、辞める花道は一番成績の上がった時にと決め、私のプライド的にも満足を得た五十八歳の春、職場を辞しました。
その後はゆったりと時間が流れていく中で、趣味の書道に励みながら、通信教育で筆跡カウンセラーの勉強をし、マスターの資格を取得しました。その中に心理学の分野があり、前から興味があったことなので拍車がかかり、社会心理学、臨床心理学、児童心理学と範囲を広げ、その難しさに挑みました。
そんな折、書道連盟の本部より声をかけて頂き、週三回会長の秘書室へ手伝いに通う事になりました。丁度台湾で書展を開催する準備の時期で、台湾の方々とも接する機会が多くなり、台湾事情も学び、親交も深めました。ただ一方で何かしら自分の考えだけでは行動出来ないもどかしさがストレスとなり、私を悩ませ始めていました。
そうなると、自分の考えで殆どの事が動かせ、結果の出せるカルチャーの仕事が無性にやりたくなってきました。しかし後四ヶ月で六十歳の女性を雇ってくれる所などありはしないと諦めました。ところが近くに新設されたカルチャーセンターから、年令より能力ですと暖かい言葉を頂き、再挑戦の夢を抱きました。ただし夢を抱かせてくれたのは元職場のライバル会社という困った状況でした。もう辞めた会社の事は考えずに走ろうかとも思いましたが、とりあえず元職場の社長に挨拶に伺ってから今後の方針を決めることにしました。
社長は、五年前乳癌の末期を乗り越え、元気にいろいろなことをやっている私を見て、もう一度迎えて下さる事になり、新会社の方にはご理解を得て、還暦の再挑戦は元職場ということになりました。
一年余り職場を離れて、かえって見えてきたものもありますし、その間学んだ新知識も生かして、出戻り新人店長として再挑戦です。早速手工芸展や講座の発表会等に走り回り、子どものようなスタッフたちを教育し、何よりも人が好きと喜んでいる自分に、新鮮な生きがいを感じている今日この頃です。